憧れの人に会う前夜は、夜が更けようとも頭脳は冴えわたり、空が白み始めても脳内の暴走は止まらないという変調をきたします、何歳になっても。2026年5月6日
憧れの人に会う前夜は、夜が更けようとも頭脳は冴えわたり、空が白み始めても脳内の暴走は止まらないという変調をきたします、何歳になっても。
実は昨日、私は50年来私淑する師匠に会って参りました(参拝ですね)。表現者として、現代写真を代表する作家です。その名を操上和美といいます。出版や広告、コマーシャルフォトといった分野で時代を開拓して来たトップランナーです。しかし本人がメディアに頻繁に出る人ではないので一般的な知名度は高くないかもしれません。
でも、「ピカソに会って来た」と聞いたら衝撃があるでしょう? ルノアールとかマティスとか、そのレベルの写真家です(光の捉え方はレンブラントの方が近いかもですが)。
高校生になっておもちゃではないカメラを手にして以来、私にとって操上和美という写真家は、雲上にいる表現者という認識でした。その日、今から50年前の高校2年生だった私は、山手線の中で「操上和美という人は実在するのだろうか?」とふと考えました。そして「この目で確かめに行こう」と原宿駅で降り、セントラルアパートにあったキャメル(事務所)に向かいました。無鉄砲は若者の特権ですから。
私の旧式の学生カバンの中にある知的教材と言えば、月刊誌のコマーシャルフォトだけです。そして私が書き散らかした未完小説の断片とクリアフォルダーに挟んだ操上和美のセルフポートレートでした。
月刊カメラ雑誌のcanonの広告で、著名なカメラマンが毎月セルフポートレートとともに誌面に登場した、その一遍です。
青く深く沈んだ空を背景に、ホールドアップの姿勢で佇む操上和美は、ジーンズに上半身裸という姿で、その右胸には、標的のように赤いペイントで〇を描いていました。キャプションには「たとえビリーザキッドでも、僕を一発で仕留めるのは難しかったろう。なぜなら僕の心臓は右にあるから」とありました。痺れました。
突然、何のアポイントメントもなくキャメルを訪れた、ひょろっとした詰襟の若者を快く招き入れてくださったのは操上先生でした。
もったいぶった教訓を垂れる人ではありませんので、ごく自然に「写真の勉強はいつでもできるから、今はいろんなことを経験しておくといい。経験が感性を磨くから」といった内容のお話を頂戴し、前述の写真にサインをいただきました。
私は先生のアドバイスを胸に、学生時代に日本広告写真家協会の奨励賞をいただき、ライトパブリシティ(一流のコマーシャルフォトグラファーを育て輩出する創造の巣窟)に採用され損なった、というところまでの経緯は先生と同じ轍を辿ったのですが。今思うと、その後プロになった私は、自分の中に存在する「核」を写真映像という媒体で表現しきれなかったように思います。そしてカメラマンを辞めていきなり幼稚園に講師として赴任して発見した自分の適性は、今現在につながっていると思います。
50年ぶりにお会いした先生は、今月の月刊誌4誌の表紙写真を撮るバリバリの作家です。私は、90歳を迎えた操上和美の満面の笑顔の中に、先生が生きる事に向かう魂を見ました。それはどこまでも深淵に続く青い空をバックにした50年前の写真の中にいた操上和美が発した、生き抜くパワーと全く同じものでした。そして握手してもらった手は、「すっげーでっかい手」でした。
私は結構な確信をもって130歳の操上和美に会えると思っています。その時も私は操上塾の塾生です。



















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