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理事長通信

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義を見てせざるは勇無きなり、という言葉があります。2026年4月15日

 義を見てせざるは勇無きなり、という言葉があります。なにをもって義とするか、それは人それぞれに考え方が違うでしょう。たとえば、いじめという行為は明らかに弱者への攻撃ですから、だれが考えても悪いことですね。

 いじめの場面に遭遇して、積極的にいじめの当事者になったり加担したりするのはいけない、ということは当たり前のことですが、その場にいながら見て見ぬふりをする、というのはいじめに消極的に加担しているようなものですね。
 しかし、いじめられている人を助けたり、いじめている人をいさめたり、と直接的な行動に出ると、今度はこちらにいじめの攻撃が及んでくることがあります。自分がいじめの被害者になることもいとわずに他人を助けるというのは、余計なエネルギーをものすごく消耗することになります。第一、そんな勇気をもって生きて行くのは相当にしんどいです。

 ですから第一義的には、もしもいじめがあるのなら、そのいじめられている者が自助努力でその状況から抜け出す意外に方法がない、と私は従前から考えています。闘うか逃げ出すかのどちらかです。

 私の母は厳母という言葉が似合う人でしたので、私はどのような場面でも絶対に逃げるなと教えられて育ちました。しかしながら少年時代には、時として母に弱い面を見せ、母性に包まれて安心を得たいという時もあります。私もそのような気持ちで、一度だけケンカに負けたふりをして帰宅したことがありました。しかしながらその時の母の対応は「男ならケンカをしたなら死んでも負けて帰って来るな!」というものでした。
 しょぼくれた顔を見せた私は家から追い出されました。とぼとぼと近所をうろつきながら、小3か4年の私は「大恥をかいた」という自己嫌悪感を胸に刻み込みました。

 そうして育った私ですから、人生のさまざまな場面でけっこう面倒な目に遭ってきました。なにしろここで逃げたら母に男として認められないのですから。成長した後年、私の弟に聞くと(母の葬儀の席でしたから私も弟も齢五十を過ぎています)、「いや、僕は『何か危ない目に遭ったらすぐに逃げて帰って来なさい』と母さんに言われて育った」と申しておりました。
 母親という者は長男と次男にはまったく違った言葉をかけて育てる、それが母親の教育の一貫性である、ということを学びましたね。なんだよそりゃ。

 いじめというものは抵抗しない限り必ずエスカレートします。和やかに和解するなどという平和ボケは、優等生がお花畑の頭の中で夢想する妄想です。ですからエスカレートする前に、いじめが本格化する前に阻止しなければならないのです。
 では、どうすればいいですか? 簡単なことです。しかし実行するには勇気が要ります。練習も必要です。
 もしもいじめられたならば、「ヤメローーー!!!」と大声で相手を威嚇して対抗することです。相手はそのようにこちらが反応するとは夢にも思っていないから、からかい続け、ちょっかいを出し続けていたのですから、必ず面喰います。一発でいじめは収まります。
 もしご要望があるなら私がプレミアマイレッスンで個人指導を行います。でも妻に対抗するためのお父さんからの申し込みはヤだよ。

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