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理事長通信

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先週よりつづき2025年4月23日

 先週よりつづき
 一方、魂に宿った記憶は、新たな肉体をもらった途端に魂から切り放たれます。記憶はもう、人魂のような形すら持ちません。自分の人生に起こったさまざまな「記憶」、それは決して消え去るわけではなく、天上の世界で思いのままに遊んでいます。
 そこには幼い日々の自分がいます。父、母、兄弟、姉妹に囲まれて過ごす、平和で穏やかな日々の記憶がそこにあります。家族で囲んだ食卓、父と母の笑顔、自分を見つめる親の目。笑い声も静寂の中に響きます。あったかな陽ざし、香るように渡っていく風、穏やかに満たされる最上級の幸せで、胸が膨らむ思いがあります。

 死んだらあの世には何も持って行けない、というのは本当のことでしょうね。でも私は、今生の思い出だけは一緒に持って行けると信じています。
 この記憶はいつだったろう? 楽しかったことやうれしかった時のこと、誇らしかった日のこと、誰かから愛で包まれて過ごした日々のこと、大事な思いはすべて離れることはないでしょう。

 死んでしまったらすべては無になる、と言う人はいますが、私は想念は残るものだと信じています。今生きていて、この人生で楽しかったこと、うれしかったこと、その記憶は肉体が滅びた後も、永遠に、繰り返し繰り返しリフレインして再生され続けると感じています。だから今生で楽しいこと、うれしいこと、お役に立てたこと、たくさんの思い出を胸にいっぱい貯め込んでおこう、そう思って毎日を暮らしています。毎日通り過ぎるその瞬間ごとに、うれしい思いや楽しい事が胸を通り抜けていきますよね。どんな小さな楽しみでも、それをすくい取って感謝ができれば、人生はけっこう楽しいことで満たされますよね。

 死んだ後、肉体は滅びてしまった。魂も新たな肉体をもらって地上へと降りて行ってしまった。だけど自分の大切な思い出だけは永遠に天上の世界で遊んでいる。それは楽しく、幸せに包まれた穏やかな思い出です。胸に去来したかつての感動は、いつまでも滅ぶことがない、そう信じています。

 人が死ぬとは、それは肉体が滅びるということでしょう。個の肉体が滅びても、その人が誰かの記憶に留まっている限りは、その人は記憶の中で生き続けていることでしょう。その人の記憶を残す最後の人がこの世から消えると、その時が本当の意味で、自分がこの世を去る時なのだと思います。
 今は亡き私の父母も弟も私の中で確かに生き続けています。ですから私はちっともさみしい思いをしていません。近々、弟の高校時代の友人たちと会い、昔よく行った料理店で会食をします。きっと弟の魂もふっと降りてきて、楽しい会になるでしょう。

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信頼の指導47年 慶応幼稚舎・早実・慶応横浜初等部・小学校受験・中学受験・中等部受験に勝つ!

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