私は世界に誇る文化と教養を背骨にした日本人は、2026年7月22日
私は世界に誇る文化と教養を背骨にした日本人は、人として世界最強の資質に恵まれていると信じています。英単語のlyricは抒情的という形容詞ですが、秋の虫の音をノイズと感じ、その情緒を聞き分けられない人種とは、正直、感性のレベルが日本人とは比較にならないと自負し、日本人の持つ情緒性の高さを誇る者です。
一昔前の欧米の上流階級ではラテン語の学びが不可欠であり、ラテン語力が学力や知性度を測る指標となっていました。
現在、国際標準語に近い存在としてアメリカ英語がその地位にいるかもしれません(教養を測る指数になっているとは思いませんが)。
日本人にとって言語体系がまるっきり違う英語は、読解力は受験英語でなんとか克服できても、会話に関してはほぼお手上げという人が多い状態が続いているでしょう(非日本語、英語圏の一外国人が日本語または英語を習得しようとすると、日本語の習得の方がはるかに難しいようですが)。
先の大戦で日本がアメリカに占領されたにも関わらず、英語教育の強制がなく、母国語の日本語を失わずに済んだことは、敗戦の中でも数少ない僥倖の一つです。言葉こそ文化ですから。
何世代にもわたって英語嫌い、英語力不足、英語コンプレックスは多くの日本人がどこかに抱える課題として存在するかもしれません。
言語は道具ですから、使う環境がないといくら練習をしても、実際に使う場がなければ使い方が身につきません。
日本語の方がはるかに身につけるには難解な言語を母国語として駆使している日本人が、たかが24しかないアルファベット文字の組み合わせだけでできた英語での会話に苦労するのは、ただ単に「使う場がない」という理由に尽きます。
今、日本で大流行中の英語による新規のキンダーガーデンやインターナショナルスクールの最大の限界は、そこに通う園児や児童の平素の会話が日本語であることです。英語への理解は深まるかもしれませんが、ほぼネイティブの会話ができるようにはならないでしょう。もともと日本に駐留中の外国人家庭のためのアメリカンスクールはこの限りではありません。生徒、児童、そして家庭での会話が英語だからです。
もしネイティブの英語を駆使できるわが子に育てたいと本気で願うならば、英語圏の現地校にわが子を入れる、つまり平素の子ども同士の会話が英語である環境に放り込む以外にないと私は過去の例から結論します。
ただし、ネイティブ英語を駆使できるようになったわが子は日本人としてのアイデンティティを保つことは難しいと思います(主として態度、言動と価値観について)。
ですから親としての考えどころは、「わが子をなに人に育てたいのか?」という決断です。日本人に育てたいのか、外国人(アメリカ人? 欧米人?)に育てたいのか、そこがあやふやなまま日本人家庭の子どもが多く通うインターに入れても、高度な日本語力が身につかず(特に男子は漢字の読み書きでつまずきやすい)かと言って英語で論文の読み書きができるほど高度な英語力も身につかず、といった懸案事項が増えるのではないかなと思います。
外国語に関して、日本人はまず母国語を獲得してから、で構わないと思います。思考力を磨きながら外国語の音に慣れることから始めればいいでしょう。



















ご購入はこちらから
ご購入はこちらから
ご購入はこちらから
ご購入はこちらから
ご購入はこちらから
ご購入はこちらから
ご購入はこちらから
ご購入はこちらから








