私が父の日に思うことはただ一つ、感謝を伝えられなかった日のことです。2026年6月24日
私が父の日に思うことはただ一つ、感謝を伝えられなかった日のことです。私の生家は、家族の誕生日、父の日、母の日といったメインイベントを、大げさではないにしろきちんと執り行う慣習がありました。
ここでひとつシステム上の問題があるのですが、アメリカ発祥の父の日は6月第3日曜日となっています。日本もそれに倣っているのですが、母の日は5月の第2日曜日ですね。
そもそも母の日は明治時代末期にアメリカから伝わった慣習で、森永製菓が1937年にイベントを行ったのがさきがけのようです。バレンタインデーもお菓子屋さんがしかけたイベントですから、フィクサーはお菓子業界ですね。
父の日が日本で初めて伝わったのは1950年代のようで、一般的な認知はもう少し後だったようです。幼稚園で母の日、父の日にお母さん、お父さんへとお絵描きをしてプレゼントすることが慣例となったのはいつからでしょうね。
いずれにしても、イベントとしても、実際の感謝を捧げるという行動の実践も、お父さんよりお母さんへ、の方が先だったようです。
前述したシステム上の問題というのは、母の日が第2、父の日が第3日曜日という点です。子どもの頃、毎月のお小遣いって、親からいつもらっていました? 25日とか1日とかあるようですが、いずれにしてもこの1週間の違いが、私にとっては大きかったです。つまり、月の2週目の週末までは保っていても、第3周には財布の底が払底するという事態になりがちなわけです、現金が。
ある年のことでした。その光景を鮮明に思い出すのですが、たぶん私が中2の6月第3週の日曜日のことです。ポケットの底をひっくり返してもすっからかんになっていた状態の私は、父への感謝を示そうにも用意できるものがない、という事態に陥っていました。私はその年の父の日を、うっかり忘れたことにして通り過ぎようとしたのです。
帰宅した父に、おかえりなさいといつも通りの挨拶はしましたが、その後はスルーで通してしまいました。
「お父ちゃま、なんだか寂しそうだったわよ」という母の声を背中で私は聞き、苦笑いで誤魔化しました。
母は私がプレゼントを用意できなかったから声をかけなかったとは思っていなかったかもしれません。反抗期の息子が素直に父親に日頃の感謝を伝えられないと思っていたでしょう。他責的に言うなら、母が「プレゼントなんかいらないから一言お礼を伝えなさい」とアドバイスしてくれたなら、そうできたのにな、と思います。
まったくブラックファーザーズデイです。その情景は記憶に切なく刻まれていつも私は苦しんでいます。あんなに敬愛した父なのに、たぶん相当に寂しい思いだったろうなと思います。
父は人に心の豊かさを与える人でした。私も父親になっています。なかなか執着を離れられませんが、自分が人にしたレベルと同じ施しが返って来る期待を放棄しようと、私は努力しています。
「しまった、父の日のイベントを忘れた!」と思っている方、遅くはありません。伝えましょう、心からの気持ちを。



















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