日本を訪れた外国人が、2025年6月25日
日本を訪れた外国人が、日本人気質に対する驚きと感動のようすをSNSや動画サイトに多く上げています。一例として小学生が下校時に、信号のない横断歩道を渡った後、停止線で止まり子どもたちを横断させてあげた車に向かい一礼するようすに対して、その礼儀正しさに感動の極みの言葉を送っています。また電車内で座り、窓に向かって座り直すために靴を脱いで座席に上がる幼児にも、親のしつけの尊さを発見し、語っています。日本の現在の治安状況からすると見慣れた光景ですが、小学生が親の付き添いなしに登下校をすることには最大限の驚嘆の声が上がっています(アメリカでそれをしたら親は逮捕ですね)。
いつまでもこの当たり前の日常を維持するために、不法入国者やウソの難民を語る人々はお帰りただくとともに、海外からの移住者も日本の文化を新たな母国の文化として受け入れてほしいと願います。移民政策で国の文化をほぼ失った欧州の多くの国に学ぶときです。
日本人の気質として「人に迷惑をかけない」という行動規範があると思います。どなたの言葉だったでしょう、「みんなちがってみんないい」というのは。インドでしたか他国では「あなたも人に迷惑をかける時があるのだから、人の行動にも寛大でありなさい」という、わが子を諭す母の言葉がありました。どちらの言葉の表現がその国の国民性に合っているか、という話でもあります。
私は先週ニューヨークにおりましたが、夜のSOHOでショーを見た後、帰りがけの足として、Uberの配車を探したところ、夜11時を過ぎたマンハッタンでは、わずか4キロぐらいの距離でも80ドルとか100ドルとかという高価格を表示したUber候補がスマホの画面に並ぶ状況です。そりゃーないだろう。法外な要求に屈するのはしゃくに障りますからね。歩いて帰っても1時間ほどですから北へ向かい歩き始めましたが、幸いブロックを一つ歩くと地下鉄の入り口を見つけたので、私は迷わず駅へ直行しました。今では乗車券売り場を探す手間もなく、Suicaと同様にクレジットカードをかざすだけで乗車できます($2.90)。
70年代80年代のニューヨークの地下鉄は階段を下りる入り口からして相当にヤバかった状況ですから、それを知る者にとってはそれほどの危険性を肌で感じるような高いハードルではありませんでした。
さて、すぐに来た地下鉄の席に座ると、いかにもNYといった光景が広がっています。前の席では小学低学年の子どもが吊り手を鉄棒にしてあそんでいます。その横では30代のお父さんが、車内の真ん中に垂直に立つ、つかまり棒の鉄ポールを握って、体をまっすぐに真横に伸ばし、つまり地面と体を水平にして、揺れる車内でバランスを取り続けています、奇声を上げながら。私の眼前1メートルです。もちろん咎める人など誰もいません。にやついて見る人はいましたが。
「まぁ、あるあるだよな」と私は特に感想を持ちませんが、室長は眼前の光景にビビりまくって、緊張した面持ちのままホテルの部屋へ帰り着くまで一言も声が漏れませんでした。
「みんなちがってみんないい」ってホントか?! 私は直近のニューヨーク体験から、10人中5人が周囲と全く違う言動をする集団の中であるなら、他人の自由と多様性を認める以外に、自らの心を安定させる方法がないではないかと思います。というよりもあきらめるしかない。自分と全く違う他人の価値観を、言論によって改善させようなどということが完全に無理であることを理解する唯一のすべです。これは自分で体験して、自分の目で見て体感する以外にないと思います。
日本人社会のように社会がだいたいの規律で守られていて、集団の中で突拍子もないような行動をする人が10人中1人いるかいないかという社会の中では、なかなか他人の多様性を認めにくい状況であるなと思い至りました。