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幼児英才教室
(幼稚園・小学校受験)
入試担当官が教える
受験で大切な本当の話・・・ |
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小 学 部
(私立国立付属生・中学受験生)
付属中への推薦を上位で獲得する先進クラス・そして中学受験生クラス
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中 学 部 (高校受験)
成績は総合力だ!学力にプラスアルファが必要。自立心、向上心、チャレンジ精神。心のベクトルをプラスに! |
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高 校 部 (大学受験)
「目標」や「夢」を見つけにくい時代だから未来を語るための道具「高い学力」をまず身につけよう。
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JR(総武線)・地下鉄(大江戸線)
東中野駅前30秒です。
車では原宿から15分です。港区、渋谷区から渋滞時でも便利な近道をお教えします。 |
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慶応会では理事長と志を同じくして、人助けに情熱を注いていただける方を募集しております。各教科の先生、幼児英才教室の先生、絵画講師、事務スタッフの方、ご希望の方はお問い合わせください。 |
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受かったその先が大事だ
そのための受験なんだ
これが慶応 会のメッセージです。
慶応会理事長
山岸顕司
「この受験が人生最初で最後のハードルだ」なんて思ったら、いつもは飛べる高さのハードルだって怖くてとべません。
たとえば小6の子の目線では、中学受験という一番手前のハードルしか見えないかもしれません。しかしすぐに、その向こうに別のハードルがあり、社会に出るまでにはそれを20回も30回も飛び続けるんだとわかります。
そう考えれば受験なんてほんの通過点にすぎません。その先に目標を持って進むほうがはるかに大事なことなのです。それがわかっているお子さまは合格したらさらに伸びますし、仮にそのとき合格できなくても次に進む強さをもっています。
そういった話を、私はレッスンの合間に生徒さんに話しています。私が知っていいる限り、付属から上がってきた子を含め、一番能力を伸ばしたのは「合格した後も努力を続けた子」です。
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山岸会長先生の
「論語素読教室」と
「中学・高校教科書素読教室」 |


日本人の知的バックボーンは国語力で支えられています。国語力を伸ばすことがすべての教科の成績を上げる最良の方法です。
では、国語力を伸ばすにはどうすればいいのか?世界のノーベル賞受賞の20%を占めるユダヤ民族は、その教育方法に秘密がありました。幼児期より経典のタルムードを朗誦し暗唱することにより、脳内に大容量のハードディスクを作り上げてしまうのです。
日本人も同じく、古くから論語の素読を行ってきました。アメリカがまだ国が出来上がってさえいない時代に、日本人は全国の寺子屋で論語の素読を行い、学力を伸ばしてきました。すべての日本人のDNAにはこの向上心が備わっています。さあ、2007年の今、始めましょう。未来をつくるあなた自身のために。
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過去の理事長通信(2011年度)
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理事長通信は毎週、慶応会だよりとしてご家庭にご送付しているものです。
ここではそのダイジェスト版をお読みいただけます☆ |
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理事長通信101110 山岸顕司
私立小学校を選び進学させることが子どもにもたらす恩恵はさまざまにあります。名門小学校であるとか、ステータスのシンボルという側面を無視して考えると、やはりわが子に対する学校や先生の接し方が厚い、ということが一番にあります。しかもこれはいわゆる有名校よりも、入試難易度が中堅レベルの学校のほうが手厚いものです。なぜなら預かった子どもたちを大切に育て(その意味は生徒を甘やかすとかご機嫌を伺うということとは正反対のことです)、人格面での成長を促すとともに、将来の進学実績においてわが校の名誉を高めてもらおうと大切に育ててくれるからです。中堅校はブランド力が相対的に高くないため、保護者にその学校を選んでもらう魅力を主張できないと生徒が減ってしまいます。生徒数が減れば教員を減らさざるを得ない事態になります。人により意識に高低があるのはどの社会でも一緒ですが、私立中堅校の先生は現場に危機意識と競争原理があります。良い授業をすること、良い生徒指導をすること、良い学校を生徒や親と協力して作り上げていくこと、これらさまざまな積極的挑戦を継続する素地があります。
一方、今も昔も地元の公立小学校に通うことの最大のメリットは、なにはともあれ通学時間が圧倒的に短いことです。(学費のことを言ったら話はそこで終わりです。教育にかかるコストを極限まで抑えたいなら、家庭が全責任をもってわが子の教育に全精力を傾ければいいことです。学力に関してはある程度の成果達成を見込めるかもしれませんが、教育とは環境の中で行われるものであり、他者との比較により達成の度合いを本人が確認することに意味があるのです。学力ばかりでなく人間的にも良い集団を選び、わが子をそこで切磋琢磨させることは教育の基本です)。孟子の母もわが子が学ぶ環境をよりよく改善するために三度も引っ越しをしています。通学にかける往復の時間を集積するとどれほどの時間が作り出せるか、その時間を有意義に使うことができるなら、どれほど学習効果が期待できるか。という論理には一理あるものの、定期テスト前に自宅で勉強する効果とわざわざ図書館まで出かけて勉強することで得られる効果の違いは無視できないことも経験のある方はご存じでしょう。また通学の往復時間を読書にあて、単語の暗記や学習の単純作業を繰り返す時間に充てることも可能です。要は時間の使い方次第といえます。第二のメリットは地域で子どもが成長することでしょう。放課後に近所の友達が集まって遊ぶという環境は小学生の時代ならではです。しかし近年の社会状況は、低学年の小学生が安全を確保して遊ぶ環境が手近に保証されているとは思えません。まして昔ほど価値観の同一性がない時代においては、親の教育への考え方の違いにより、小学生はおけいこ事などで忙しいので、むしろ放課後はおけいこや進学準備の教室で会う友だちと過ごす時間のほうが多いかもしれません。そうするとあえて公立に進学すべきメリットも希薄に思えてきます。子どもは遊びの中でさまざまに学ぶことが非常に重要であるにもかかわらず、遊びそのものが確保できない小学生は不幸です。放課後の校庭開放で起きた事故に際し、自己責任を省みず学校に管理責任を押し付けて裁判を起こす親が後を絶たなかったために放課後の校庭をシャットアウトされてしまったツケが、今の時代の子どもに不自由を増幅させています。
理事長通信110223 山岸顕司
仕事帰りに立ち寄り、いつも社会という檻の中で、なんらかの縛りを受け野性を飼い慣らしている男が本性を取り戻す場として、男の隠れ家なるものを有することがあります。主として酒場などはその類の代表でしょう。男の隠れ家を紹介する定期刊行本まであります。酒肴は好きでも酒そのものを嗜まない私は、ワインを飲む代わりに差し出すものがあります。私にはお気に入りの献血センターがあるのです。そこに立ち寄り年2回の400ml献血をしています。以前は年12回、毎月200mlの献血をしていましたが、輸血される側の負担を減らすという目的で400ml献血を勧められ、以後は切り替えています。献血とは、人に血を分けてあげられるほど自らが健康であることを確認し、身近な行動から現在の状況を神様に感謝できる行為だと思います。(まあ、宗派によっては神様から頂いた自らの体に他人の血を入れるのは神様の教えに背くからよくないとか固いことを言う人もいますが、それはそれとして)病気になったら人に分けてあげるどころじゃなくなりますから。もう一つの理由として、人体の機能は合理的にできていて、血を抜くと血液量の不足を補うために新しい血を体内で作るように作用します。つまり活性化するのですね。人のお役に立てる上に、自分はさらに健康を促進できる。まさに与えるものはさらに与えられるという奉仕の極意を王道で歩むような行為です。そこで採血後にアイスクリームを口に運びながら、社会動向の推移に目を向けようと、ふだんは手に取らない女性誌にでも目を通してみるかと書棚に目を走らせると、おもしろそうな表題の表紙に目が留まりました。おしゃれなパンダの名前のような雑誌名ですが、特集に「結婚できる女、結婚できない女」となっています。これは読まないわけにはいかない。
女性誌らしく女性がスキルを磨くことで手に入れた成功を賛美するページがあり、女性の自立を支援するのが目的のような切り口で、語り手の女性はいかに英語が身を助けたかを対談形式で語りつつ、私は紙面の端々にこじつけた理屈を感じながら読み続けると、実はそのページは全国展開をする英会話教室の記事広告だったりしました。はたまたページを繰れば美容整形クリニックの広告もたっぷりとあり、本誌の主張は女性にとって大切なのは知なのか美なのか、いったいどっちだと言いたくなるような構成です。人生の岐路に立つ女性を、ますます混とんとさせるのが狙いであるなら、それはじゅうぶんに効力を発揮しています。(どちらも大事というのは積極的人生の正解でしょうし、どちらも大して問題ではないというのは消極的人生の正解でしょう。そもそもなにをもって積極的と言うか消極的と定義するか、議論は尽きませんが)。人は(特に女性は)自分の信じたいことしか信じない、人は(特に女性は)自らが信じる意見に同調してくれる人を永遠に探し続ける、というのはある進学教室の代表者の言葉です。ちなみにその方は、求められた質問に対し有する限りの知恵を絞り、渾身のアドバイスを女性(お預かりしたお子さまの母親)にするにもかかわらず、一向にアドバイスを受け入れるつもりのない人が多いことにも慣れ、前述の格言の境地に達したということです。私から言わせれば、その方もまだまだですね。説得するスキルを磨かねばなどと邪心があるようでは。
理事長通信110302 山岸顕司
その雑誌の分析によると、結婚を遅らせる理由を日本の家庭と欧米とで違う家族観が意識の根底にあることを挙げています。意識の違いと言えばそれまでですが、欧米では学校を卒業すると子は親と暮らした家を出て一人で生活することが基本です。学校と実家、また就職後の勤務地と実家の距離が至近である場合、多くの日本人家庭では子どもは独立して家を出ることなく、親と同居のまま居続ける場合が多数です。なぜ家を出て独立しないのか、させないのか。経験するとわかりますが、廉価のレンタルで居住空間が確保できる国と比べ、住環境のクオリティがあまりに違いすぎることが直接原因の一つです。高家賃狭小スペースに給与の半分近くを消費するのは経済的側面から二の足を踏む要因です。つまり踏み出す一歩があまりにもハードルが高い。日本でも従来は子が学校を卒業すると、ある時期からは、早く身を固めなさいと親や社会か後押しし、結婚への意識を促進していたものです。現代では、いつまでも家にいていいよ、といった親からの逆の働きかけがいっそう結婚に踏み出す足を鈍くしていることも土壌にあります。雑誌の調査は特に娘の結婚を遅くする条件を統合すると、仕事を持たずおけいこ事などをして過ごす中流以上のパラサイトシングルの地方在住者がもっとも結婚から遠いと示しています。また世帯収入の全額を夫に負うことを前提に考えると、現在の生涯非婚率の推移から推察すると、2011年に誕生した女性は、3分の1が生まれた時から結婚できないという極めて深刻な数字を掲げています。結婚を促進する条件として女性に対し、仕事を持ち自らの収入を得ること、そして実家を出て自立することを第一に提案しています。一人で暮らすコストは結婚して二人で暮らすことにより低減でき、夫の収入と合わせれば、現在より生活はアップできる。結婚相手にすべての収入を頼ろうとすると、現代の社会状況では極めて相手に厳しい条件を求めることになる。素晴らしい条件を備えた男性は大半が20代前半で売約済みである。であれば女性も働き、相手に求める収入の希望額を減らして要求レベルを下げればうんと男性の選択幅が広くなる(というより下げるとラインに引っかかってくる)。現実への提言という内容は理解できます。結婚をファンタジーで包む特集はまた別の号で行い、女性誌らしい切り口で現実に目を向けさせ、結婚に向かうためのノウハウを示唆し、そこまで暴いたら身もふたもないような真実の話を展開するとは。仕事を通じて社会の役に立ち、自らの自己実現を仕事の中でも感じるといった、むしろ生きていく上での本質に関することは、どうやら別の号を新たにご購入下さいといった出版社の意向のようです。女性ならだれしもおいしいワインが飲みたい。だけど上等のワインが作れるブルゴーニュのワイナリーはみんなが狙っている。たとえ良い物件が新たに出たとしても早い者勝ちですぐに売約済みになるし(!)、もし中レベルのワイナリーが目の前にあるなら、それで手を打って(!)自分で上質のワイナリーに変えてみせる、それぐらいの気概で男を育てるという手もある、とは念の入った話です。かつて女性は大地に例えられたかと思いますが、平塚らいてうの啓蒙を経た女性は、「元始、女性は太陽であった」ことに目覚め、男性は耕される大地になったか。良き結婚相手の男性をフランスのワイナリーに例えるとは、結婚後どれほどワインを搾り取られるのか、空恐ろしいことです。ナンマンダヴュ。
理事長通信101124 山岸顕司
昭和ひとけた生まれの私の母は、教育熱心な父母のもとに育ち、時代背景を考えれば相当にリベラルな育ち方をした女性だと思います。ところが母に言わせると明治の末に生まれた祖母のほうが母よりはるかにおしゃれだし物事の見方や発想がリベラルだと語っていたものです。その感覚の差は何に基づくかと言うと、母の青春時代はその前半がすべて太平洋戦争の戦時中であったのに対し、祖母は青春時代を大正デモクラシーの中で過ごしたことです。私も大好きだった山川の日本史教科書の中で当時の政治史、文化史として言葉だけを学んだ大正デモクラシーですが、後世の孫に体現して見せた祖母は、その片鱗を伝えた人でした。太平洋戦争の戦中戦後を強く明るく生き抜いた祖母の柔軟な決断力と行動力を思い出すと、それは祖母の個人的資質もあったと思いますが、青春期を過ごした当時の社会全体に自由闊達さがあり、時代を背景にして育まれた人物のスケールの大きさや違いを確かに感じさせました。子どものころ、どういった社会世相のもとに育つかが人格形成の中枢にまで影響を及ぼすのは事実のようです。
バブル景気のころ、元気で力のある男は我先にプレミアム価格の付いた高級車を手に入れるために奔走しました。元気できれいな女の子たちも競っていい男を手に入れるために奔走しました。フェラーリ328やテスタロッサのナビシートは美貌と美脚の持ち主の定位置であった時代です。「ポルシェ911カブリオレのドアノブは右手(!)のこのあたり。924とか944はわからないわ、乗ったことがないから」(私は911などの高額車に乗るような勢いのある男とつき合っているのであり、924や944などの低額車に乗る男などは相手にしていません、という意)。と言い放つ女の子がいるかと思えば、「ドアノブの場所なんて覚える必要があるの?だってドアって男が開け閉めするものでしょ」とさらに上回る鼻息でポルシェ派の子を土俵外へ張り出す女の子もおりました。この取り組みは、突き倒しで跳馬山の勝ち。
10月時点で大学生全体の就職内定率が57%台に落ち込んでいます。理系の下落率も過去最大です。今春は大学新卒の6人に1人にあたる8万7千人が就くべき仕事を見つけられずに社会に出ています。23,4才の彼らは1986年末から4年3か月続いたバブル景気のさなかにこの世に生を受けた子供たちです。東証株価が\38000を超えていたころ、親の世代も好景気に沸いていたものです。地価が高騰し、持ち家のある人や住宅取得を済ませた人にとっては含み資産が倍加していった時代です。親の世代はバブル絶頂を生活面で体験しています。その子世代も何らかの形で好景気の恩恵に浴した最後の世代です。しかしもう数年すると、生まれてこのかた少しも社会世相が明るかったことのない時代に生を受け、以降ずっと前年割れの景気続きのまったく閉塞した時代に育った子どもが社会に出るようになります。努力して自分の力で人生の扉をこじ開けること、道を切り開くこと、その先に希望や夢があることを神話としても信じられない子たちの世代が続くことはまことに遺憾です。親世代の私たちは、夢を持てない子に夢を持たせる努力を怠らない一方で、夢すら持てない子を一喝するショック療法も必要かもしれません。
理事長通信101229 山岸顕司
やはり社会的にもっとも強い自我で家族を守っているのはやはりお父さんです。シングルマザーの家庭においてはお母さんです。同時に、世の中で一番不遇をかこっているのは、明らかに「世のお父さん」です!名も知れず人知れず、労のみ多く評価もされず、世の不条理に耐え、会社組織の一員として粛々と宮仕えし禄を食み、決まったサラリーを口座に振り込まれ自らはその実態を知らず、愛する家族を守り、家族の希望を優先させ自らの希望は一番後回しにし、その結果希望がかなうこともなく、ひたすらひたすら子の明るい将来を夢に思い描き、忍び寄る熟年離婚の危機に気づくこともなく、つつがなく人生を送ることのみ願うお父さん、そんな素晴らしい、強くて優しいお父さんをないがしろにする嫁がいるなら天誅が下るでしょう。一番大事に考えなければならない人を粗末に扱うような振る舞いは、やがてわが子が親を尊敬しないという重大な結果になって家庭に訪れます。よろしいですか、まず一番に考えなければならないのは、子どもであるわけがないのです。子どもは親が大事に思えばいいのであって、社会的役割の家族というくくりのなかで、最も大事にし、その人を中心に団結しなければならないのは父親です。家族の中心に子どもを据えたらペット様がお大事の馬鹿家族です。甘ったれた子どもに家の中での役割を与え、親は子の向上心に訴えかける言葉を常にかけ、まず母親が父親を尊敬すること、一家の頂点をなす父親がその役割を果たすこと、(母親が一人で家を支える場合はどう家を切り盛りすればいいか、私にご相談ください)それで家庭の経営がうまくいかないわけがない、私はそう断言します。バランスの悪さは指摘し改善することができます。しかし一家で主権を持つのが親でなく、親に対して尊敬の念がない家庭には伝える言葉がありません。
優しいという言葉が包括するイメージに私は疑念があります。本当に優しいとはどういうことなのか、優しい父親が悪いという誤解を避けるために付記します。善悪の判断を子に植え付けるために、注意を繰り返し教えても従わない子を問答無用で叱り飛ばす父親は真の意味で優しいと思います。教えを与えている最中に親に口ごたえすることなど許さんと張り倒すばかりの勢いでこちらの真剣さを示し伝えるぐらいの覚悟は決めた方がいいと思います。嫌われることなどを恐れて家が治められるわけがないと私は考えています。その教育にどういう効用があるかというと、子に親に対する畏敬の念を植え付けることがあります。もっともまったく手のかからない良い子というものもこの世には存在しますので、そういうお子さまをお持ちの親御様からは、そんなに厳しく躾をなさる必要がおありかしらと眉をひそめられてしまうかもしれませんが、私からすれば、ああそうですか、ご家族は皆様お上品で宜しゅうございますねといった程度の感想しかありません。家の中で誰がボスなのか、それを決める戦いは熾烈なものです。子がある程度の年齢を超えてからでは主権の移動が難しい場合もあります。親父がだらしなくてお袋が一切を切り盛りしていたという成功家庭もあります。主権を父親ではなく母親が持つ場合は、子の体が大きくなり暴力的になったときにその暴力を抑える役目も母親が遂行するならそれでも構いません。いずれにしても、子に主権を渡していいわけなどないのです。
理事長通信110119 山岸顕司
日本人と日本文化の底流に流れるものはMONONOAWAREであると言った仏教哲学が専門のドイツ人留学生を前にして、私は猛烈な速度で記憶をたどりました。はて?もののあはれ、とは確か江戸時代の国学者、本居宣長(もとおりのりなが)による源氏物語、玉の小櫛のことではなかったか?万葉集に詠まれた和歌にもその精神が宿ると研究対象になっていなかったか?・・・。私は主として文学を通し、もののあはれとはこういった概念ではないかと想像していました。つまり、外国から伝わった仏教や儒教的な教えや概念では縛りきれない、日本人が本来持つ内なる魂から沸き立ちほとばしる情念をすべて包み込んだもの、ですが、極めて観念的で非論理的な存在をもののあはれだと理解しています。拙文を読んでくださる方の理解力に負うところが大きいような文章を書いているようでは、私の文章も極めて非論理的と言わざるを得ません。私こそ情緒や観念に流され、論理を忘れた思考をしております。日本文学研究者であり文化勲章まで受賞したドナルド・キーンは、もののあはれをa sensitivity to thingsと英訳していましたが、日本語による解説よりもむしろ伝わりやすいかもしれません。実は私が外国人から説明を求められて個人的に一番立ち往生する問いの答えは、もののあはれに代表される抽象概念に基づくことです。なぜ?と聞かれ、こうこうだから、と理屈で答えられないことが多いのです。なんとなくそう感じるから、では日本人には理解できても、そんな薄ぼんやりとした説明しかできない人間は、西欧的文化の中では理解不能な人物としか映りません。人が理解できないものに対し通常思い抱く感情は恐怖です。日本人は無意識のうちに他人に恐怖を与えているということが後になってわかる場面が幾度もありました。私は国際人とは何かという問いに対し、自国の文化をバックボーンとして発信できる人間と定義しています。文化の違う双方がお互いの考えや立場を理解することは重要です。自らの文化を誇り、相手を思いやる態度こそ真の国際人です。そのためにお互いを理解するツールとして論理的に話す、ということは極めて重要です。言語というものはその次に来るものです。まず母国語で徹底的に考える。なぜそうなのか、という問いに、こうこうこうであるから、と理論をもって説明する。相手を説得する必要がある場合は根拠を示し論理的に話す。惻隠の情とか情に訴え、お察しくださいとか、理屈によらずお願いしますとか、今回はこちらが譲り黙って要求を通しますが次回は阿吽の呼吸で譲ってください、などといった高等手段は通用しない、というより理解してもらうことを前提とした甘えは幼児的ですらあるということを理解しなければ、相手にしてもらえません。
一方私は、日本人にしかわからない(それは民族的おごりが感じられるぞ、という指摘もありそうなので)、または日本人の感受性に直接訴える情緒、つまりもののあはれが生まれた時からDNAに組み込まれていることを誇りに思っています。日が傾いてゆく景色を飽くことなく眺め、時間の移ろいを心に映し、胸を熱くすることもできます。地面からすくい取った、てのひらから滝のように流れ落ちる一握の砂に無常を感じることもできます。日本人の感受性を論理的に説明できる人は、世界のどこに行っても誇れる日本文化の背骨をもった立派な国際人です。
理事長通信110126 山岸顕司
男には、一生を通し成すべきことがふたつあります。ひとつは仕事において何事かを成すこと、もうひとつは一家を成すことです。このふたつにおいて、俺は幸せだと実感できないと人生の締めくくりが淋しいものになります。逆に言えば、充実した仕事に満足し、そこにいくばくかの足跡を残せた実感がもて、愛する家族がいたなら、それで十分に自分の人生を生きたことになると思います。唯心浄土です。誰の身にも十分に起こりうる人生であり、達しうる境地です。では父親の役目とはなにか?素朴な疑問にお答えします。私は家庭が壊れないように運営することだと定義します。子に対しての父親の役目は、やがて自分の力で人生を切り開いて行かれるように、自立する力を身につけさせることです。まず毎日の生活で自立させ、自覚を与え、学力を授けることです。子どもに自信を与えられる父親でありたいと思います。父親が仕事に情熱を傾けて立ち向かい、家族に一大事があるときには何を置いても真剣に向き合うという姿で示す以外にありません。子は父の励ましで成長し、父の慰めで再生すると思います。父の背中を見て育つのが真実なら、こういった人生を歩みたいとわが子に思わせる生き方をしたいと思っています。
妻に対しての夫の役目は、亭主丈夫で留守がいいとからかわれるぐらいですから、新婚のころはともかく、子ども中心の生活となったなら、夫としてなるべく余分な負担をかけないことぐらいでしょうか、と途端に自信がなくなります。最低限、妻が何かを求めているときは、きちんと向き合う努力は必要でしょう。妻が言葉にして言わずとも、ピンチを感じ取る感性をさびつかせないようにしないと男がすたります。気づかなければ男としておしまいじゃないか、そんなふうに感じます。
男の子はとにかく弱い生命体ですから、プライドが強く持てるように育てたい。プライドなんか高く持ったらろくなことはありません。ひょろひょろと自己肯定に支えられ高く伸びたプライドは、つまらないきっかけでポキンと折れてしまうものです。そこへいくと強いプライドを心に抱く人は、容易なことでは心が折れません。逆風が吹いてもしなやかにたわみ、逆風をやり過ごす強さがあります。たいていの場合、40歳の男は40年も年を食った5歳の男の子と何ら変わりがありません。それが証拠に、5歳の男の子と変わらないガラスのハートをもっています。わずかなことでプライドがパリンと音を立てて壊れてしまう、そんな脆弱な生き物です。(母親はわが子に対してばかりか、夫に対しても母親のような態度で言葉を投げかけることがあるようです。おとなしい夫はもしかしたら萎縮し、反論する気力すら奪われているかもしれません。叱咤激励という言葉がある通り、叱咤と激励はワンセット。わが子同様、夫にも抱きしめる愛情と突き放す愛情の両方が必要です。抱きしめなくてもいいからほっといてという声もありそうですが)だからこそ、わが子には失敗を恐れない心と態度を身につける育て方をしなければならないのです。父母の与える影響がほとんど全てです。6歳を過ぎた男の子をいまだにほめて育てていませんか?できたときにほめていたら、できないときにはどのように接しているのですか?慰めるのですか?それで男が育ちますか?ではどうしますか?
理事長通信110202 山岸顕司
女の子は自負心が強い子が多いですから、しっかりとした自覚を持ち行動していることを認めてあげないと不安になります。あなたを見守っているということを伝えないと何に対しても自信が持てません。苦手なことからも逃げずにがんばっているあなたを誇りに思う、そう伝えてあげることが大事です。また、女の子は淋しい思いをさせるとまっすぐに育ちません。淋しく育つと愛情をストレートな形で求めたり表現したりすることが苦手な大人に育ちます。すると自分の本当の想いに忠実な人生を歩めなくなります。だから父親は娘に愛情を注がないとだめです。
そうして支えた家庭は、男にとって立派なひとつの作品です。完成品を鑑賞するもよし、制作途中なら時おり進捗状況を見直して一息つくもよし。かく言う私は、責務を果たした後、老いさらばえて家族の世話になろうとは露ほども考えていません。俺は象の墓場に行って死ぬから気に掛けるなと妻には話しています。群れをなすボス猿だって、ボスライオンだって、ボスが張れなくなったら群れを離れるものです。私はボスとして生きていますから散り際を見苦しいことにしたくない思いは強いです。苦楽を共にしてきた妻に厄介な介護などを強いるのはまっぴらですし、子どもの暮らしに何らかの足かせをかすこともまっぴらです。私は自分の最期を病室でチューブだらけになりながら、しまいに汗だくの若い先生に肋骨も折れんばかりの勢いで蘇生術を施されて、騒がしく人生を終えるなど、いよいよ真っ平御免です。私が人生の終末を選ぶなら、老いさらばえる前に、海を両手に抱けるような南の島に居を移し、一人で気ままに過ごそうかと思います。ストラトキャスター(エレキギター、レス・ポールでもいいな)1本とライカ(カメラ)1台とたくさんの音源と本でも持って。毎夕、太陽が落ちて水平線に接する瞬間に、ジュッとか擬音を発してみたり、夕げの支度のときに、数日分の食糧となるはずの一匹のニワトリと、感謝しつつ最後の会話をしてみたり。朝、竹竿であばら家をつつく音で起こされると、カヌーに乗った現地の少年が採れたての野菜と卵を届けに来てくれたり、その子たちとたまに一緒にたろいもと目玉焼きと野菜炒めの朝食をとったり、あとで文字を教えてやったり、お互いの言葉を教え合ったり、飽きたらギターを弾いて歌ったり、けっこう忙しいな。村の長老と昵懇になったら祭りに入れてもらい、火の輪をくぐり燃え盛る炎の中に居て魂の精霊が下りてきたら、この世に積み残しそうな煩悩をすべて焚き上げたり。体の中にガン細胞があっても浄化され消えてなくなりそうな毎日を積み重ね、自分自身も地球に生命をもらった一個体として命を全うしたら、その後は地球の生命に同化できるようになりたいなと望んでいます。焼かれるなら太陽に焼かれたい。真っ青な空を見上げ、太陽に向けた顔にさんさんと日が降り注がれ、いかだのへりから海につかり、全身を海水に洗われながら、太平洋の環礁の奥にすーっと沈んでいく。そうして魚に身や目の玉をつつかれ、巨大魚に骨までしゃぶられ、そんなふうに食物連鎖の一員に加わり、今までの天や地の恵みに感謝して地球に同化して終わりたい、そう思っています。私には灰もない。でも私を思ってくれる人がいればそれが私です。なんて、そんな潔いことでは人生を締めくくれず、めちゃめちゃ手のかかるくそじじいになったりして。
理事長通信110309 山岸顕司
先日の午後、銀座から地下鉄に乗ったときの模様です。私は絵に描いたような生活知力が低い子の生態を目撃しました。古くからの名門で知られる区立小学校の制服を着た小学2年生ぐらいでしょうか、明らかに運動が不足した体型の男の子が、到着した電車の扉が開くや否や、後ろに立つ母親に脱いだ制服を投げつけると乗降客をかき分け、一つしか空いていない空席めがけてダッシュし席を奪取しました。そして「ママ、〇〇!」と後から来た母に命じ、母に持たせた学校カバンからマンガ本を取り出させ、ひったくると読みふける体勢に入りました。母は無言で、それが素の表情であるように苦渋の面持ちです。お母さまは、光沢を一目見ればわかるほど上質なビクーニャのロングコートに黒いカーフの7cmパンプス。そしてセットしたての髪、隙なく整えられた美白メイクと上流夫人の雰囲気を醸し出しておいでです。40代半ば以降と思われるその方は、小学2,3年生のお母さまとしては年齢がやや高いと思われるところも、いかにも上流っぽいたたずまいです。この方が小学校受験を目指さなかったわけがない、しかし希望通りの結果にならなかったのは、この子育てがすべての原因を語っていると私は嘆息しました。このありさまからすると、ご本人はお気づきかもしれませんが子育てに改善の見込みもありません。
さて、言葉は悪いですが、クソガキとしか表現のしようがないその男の子は、まず表情がにくたらしいです。元気とか自由闊達とか天衣無縫とか言い様はありましょうが、私はこういう子は嫌いです。先日、公共の場でマナーの悪い子の親にそれを注意したところ口論になったという状況を検証する番組があり、それに対する街頭アンケートが放映されていました。私はその中で、いかにも当人がやんちゃ盛りといった出で立ちの若い男性の意見に拍手を送りました。それは「ガキがウッセーのはしょーがねーけど、親は注意するぐらいの努力はしろよな」という提言です。けだし名言と思います。これを言ったキミは偉い!その通り、小さい子が騒ぐのは当たり前、しょうがありません。しかし、そのうるさいわが子を注意もせず、われ関せずと涼しい顔の親には腹が立ちます。慶応会で入会希望の外部の方(まだ私の指導を受けていない)で、私と面談をしている最中に騒ぐわが子に教えもせず、景色を見晴らすかのような方もいらっしゃいます。子育てというより放牧に近い育て方のお父さまに、注意しても言うことを聞かないわが子に雷を落として叱ることはありますか、とお聞きすると、いやそこまではしたことはありません、とおっしゃいます。慶応会にいらっしゃってよかった。もし入会審査に合格できれば、指導に熱心な私たちに注意され、わが子は「けじめとメリハリ」のある子への一歩が踏み出せるようになります。特に男の子は、やんちゃで親の言うことを聞かないぐらいで順調に育っています。なんら困ったところはありません。ただし、きちんとすべき場面を理解して、自分で切り替えられるように教えて育てることが必要です。ケジメのスイッチを自分でバチッと入れられるかどうか、これですべては決まります。やんちゃで元気で自由闊達で男の子らしく天衣無縫な子と、その辺のクソガキは品格が違うのです。私が冒頭の子を「生活知力が低い」と表現したのは、知力ならば教育で改善できるからです。私は教育が子の性質を凌駕する希望をもっています。
理事長通信110316 山岸顕司
会員のみな様、お変わりありませんか。お怪我などありませんか。ご自宅で、現在ご病気などで伏せている方などいらっしゃいますか。乳幼児のいらっしゃる会員さんも多いことです。またご実家が被災地の方もいらっしゃると思います。東京都心部も一時はどうなることかと思いましたね。被災地にいまだ留まって救援をお待ちの方に私も微力ながら力になれればと行動しています。慶応会では、みな平常通り待機して、生徒さんをお迎えしています。ホームページもご参照ください。都心部を襲った激震のショックも相当なものでしたが、その後の速報で届いた東北地方の惨状は目を覆いたくなるものでした。思えば東北地方はずっと昔から、飢饉のたびに悲劇が繰り返されてきました。その土地で生まれ、その土地で土に還り、生れた土地と運命を共にするというのは日本人の多くに共通する感情でしょうか。被災地の方の言葉は重いです。形が大きくひしゃげ、黒焦げになった幼稚園バスからわが子の亡がらを引っ張り出して抱きしめた母親には悲痛な叫びしかありません。いっぽう被災地の高台で、ノコを挽き、かなづちを振るう音がします。取材者が近づくと、親戚40数名が、家屋の倒壊を免れた一軒に集まり身を寄せている光景がありました。それは即席の簡易風呂を建てている音でした。主の言葉です。こんなことをしている場合ではないかもしれない、まだ行方不明の親戚を掘り出すことが先かもしれないと思うけれど、今生きている人の暮らしが大事だ、と周りが言うのでね。津波のショックで破水し、出産した新米ママもいました。失われた命を乗り越えての、新しい命の灯です。大事に大きく育てて欲しいと願います。
勇気と元気を取り戻せる話をいくつか列記します。地震の翌日、私は駅前で東洋英和女学院の生徒さん7,8名が、声を揃えて募金を呼びかけている姿に出会いました。他にも支援活動をする高校生の姿がありました。自分たちにできることを率先して実行する判断力と行動力はたいしたものです。それを支える日頃の教育が実を結んでいます。外国でも多くのメディアが震災後の日本人の様子を伝えています。ベトナムのインターネット新聞に在日ベトナム人が、被災地での日本人の冷静な対応ぶりに驚き称賛する声を伝えています。「怒鳴り合いもけんかもない。本当に強い国だけがこうした対応ができる」。「防災訓練を受けていても怖いはずなのに、誰もパニックに陥る人はいない」。「われわれが学ぶべき多くのことが分かった」と語っています。中国紙、環球時報も「日本人の冷静さに世界が感心」との見出しで報じています。中国版のツイッターサイトではある留学生が、長い列をつくってバスや公衆電話を我慢強く待つ光景などを挙げ「皆が冷静に秩序立って行動していた」と称賛。「こうしたマナーの良さは教育の結果。GNPの規模だけで得られるものではない」と説明が付き、このつぶやきは7万回以上も転載され「とても感動的。われわれも学ぶべきだ」との反響の声があふれています。別の留学生は、教師が子どもたちを誘導する姿など、行政当局者から民間人までの素早い対応ぶりに驚いています。「こうした強さゆえに、日本人は世界で最も厳しい条件の国土で生き抜き、米国に並ぶ経済レベルを達成できたのだ」と称える声も伝えられています。がんばろう日本!
理事長通信110427 山岸顕司 元気でいきましょう!
三半規管の働きが敏感な私は、小さいころから乗り物酔いには悩まされてきました。市販の酔い止め薬もあまり功を奏さないことを心配した父母は、権威ある医者が調合した特別な薬だと、どこからか妙薬を取り寄せてくれたこともあります。確かにおまじないを信じて、その薬が効果を発揮することがあったように思います。ところがある遠足の前日、夜更けに寝付けずにいたところ、階下から大工仕事の音が聞こえるのを不審に思い下りていくと、寝間着の父がトンカチを振るう姿がありました。苦笑する母と目が合うと、どうやら市販の酔い止め薬を粉末に加工する最中のようでした。気まずい顔の親子が顔を合わせた瞬間でした。翌朝、バスに乗車する30分前に件の「特別な薬」を包んだ三角包みを取り出し飲み干すと、広げたパラフィン紙には墨痕鮮やかに「鰯の頭も信心から」と母の字がありました。
高校生の時、一人旅で九州からの帰途で乗り合わせた飛行機が気流にもまれ、決して自らの意志では乗らない絶叫マシンに期せずして乗ってしまった経験があります。限りある命を神に感謝するまたとない機会を持たせていただきましたが、私の隣には、機上の厄災など歯牙にもかけぬような唯我独尊の人物がおりました。その人はスーツ姿のビジネスマンで、機体が急降下急上昇を繰り返す最中に、浅く腰掛け組んだ足を時おり組み替えながら、ずっと週刊誌を読み続けていたのです。着陸後、搭乗員の「本日は悪天候のため、乗客のみな様にはまことにお気の毒さまでございました」という寡聞にして聞かぬ言い回しの慰めを耳にしながら、隣の人は何事もなかったかのように颯爽と席から立ち去りましたが、それを目の当たりにした私は気落ちして、ようやく上げたフラフラの腰を再度席に沈めてしましました。
今回の震災の数日後、詳細な記憶はありませんがニュース番組で、まさに大地震が始まった瞬間を写した視聴者からの提供映像が流れていました。震度6強の地で、親子してファミリーレストランにて食事中、いきなり大きな揺れが始まり、撮影者が店内の様子をパンした映像です。私が驚愕したのはそこに映る、向かい合って座る中年夫婦の姿です。隣の席の客は早くもテーブルの下に避難する状況下で、その夫は手にした味噌汁の椀が大きく揺れるので、顔を近づけ飲もうとしています。背中で見える妻も同じように箸が止まる素振りもありません。映像はほんの一瞬でしたから、この後二人して大慌てになったのかもしれませんが、この夫婦にとっては震度6強の揺れよりも、昼げの憩いへの思いが強いのです。これを強靭な日常力と言うのでしょうか。平凡な市井の人の非凡なる精神力を感じました。ほんとか?
ミシュランの三ツ星の地として紹介されたのちに外国人観光客であふれた高尾山もめっきり客足が遠のいたと聞き、出かけてみました。そこである林業関係者から笑える話を聞きました。「その時トラクターで伐採した木を引いてたんだけど、けっこうぐらんぐらん揺れてるから地震も気づかなかったよ。登山客が「山が揺れてる」って言うのは聞こえたけど、おかしなことを言うなと思って家に帰ってテレビを見たら大変なことになっていた。」というのです。震度5強の地震でも、気にならない人には気にならないし、気づかない人すらいるということです。気づいた人は損な性分かというと、そこは難しいところで、危機を体験した人にしか湧かない実感もあると思います。すごく怖い思いをした人ならなおさら次回の危機に備える知恵や対策も湧くと思います。人生は気の持ち様次第のようです。
理事長通信110511 山岸顕司 元気でいきましょう!
ゴリラとチンパンジーとオランウータンとニホンザルは果たして仲良く共存できるのか?アメリカのある大学の授業で人類学の教授が「お互いに目が合ったら目を離さずに威嚇する行動、これをチンパンジー的行為と言うが、日本人や韓国人はこういった行動をよくするだろう。」と私を見てにやりとブラックジョークを効かせたことがありました。冒頭の疑問はこの時以来私の中にあるものです。ゴリラやチンパンジーやオランウータンやニホンザルは白人、黒人、黄色人種のたとえとしてもいいし、欧米人、中東人、アジア人、アフリカ人、あるいはカソリック教徒、プロテスタント教徒、イスラム教徒、仏教徒のたとえとしても考えられます。
北風と太陽の寓話にはファンタジーがあります。いつの日か地球が太陽の明かりに包まれ、南風のそよぐ世界になればいいなとだれもが思う結末ですが、なぜ実世界ではそうはならないのか。「目には目を、歯には歯を」といえばハンムラビ法典の特徴的一節ですが(元の意は拡大報復への戒め)、中東全域の宗教にそのような教義があり、旧約聖書にもあることから、アメリカによるビンラディンの殺害は、キリスト教徒にとっても理解の内のようです。しかしアメリカ的世界制覇の手法には、敵対する社会を内部からアメリカナイズさせるという高等手段もあります。日本は先の大戦で鬼畜米英とまで憎んだアメリカに原爆まで落とされながら、被占領後にその圧倒的に魅力的なアメリカンスタイルに魅了され、生活様式のほとんどすべてがアメリカ化するという真の占領を経験しました。アメリカによるイデオロギーの勝利です。時代はチュニジアのジャスミン革命に代表される市民運動とメディアの協力による新たな、そして民主的な革命がテロによる武力革命に代わったと言っていいでしょう。これらは市民による、法の下での国家運営や豊かさへの渇望や言論、行動の自由を求めたところに端を発しています。これらの要素はいかにもアメリカ的であり、もちろん現地の人々はそんなつもりはないでしょうが、アメリカ的な民主主義と自由経済への憧憬が原動力となり達成された市民革命と言えるかもしれません。ビンラディン殺害についてアメリカ人はおおむね、今回の結果はその手法を含めて妥当であるという受け止め方のようです。私怨を晴らしたという観点では理解できます。しかしアメリカ人以外には、国際法に基づく司法手続きを踏まず、他国の国家主権を脅かした(パキスタンは関知してないと声明)手法に疑問を抱く人が多くいることは明らかで、アメリカ的思考、アメリカ的価値観の押し付けへの反発から発したテロが、アメリカによるアメリカ的解決に帰結させられたように感じます。なぜ弁舌巧みで頭脳明晰なはずのアメリカの首脳がその理性のすべてを傾注して世界を説得する理論構築ができなかったのか、まったく謎です。(アメリカにとっての善は世界にとって善であるという思い込みが思考を停止させた?)いっそ、「テロにはテロで報いる。それがもっとも無意味な行為であることを相手に知らしめるためだ」とでも言った方がむしろ筋が通っているように私は感じます。身もふたもない言い方を少し和らげるなら、テロに対し、国際法を超法規的に拡大解釈した限界が今回の解決策である、というところでしょうか。手続きこそ民主主義の基本であり、限界でもあります。そこにつけ込むテロ的手法にはどのように対応すればいいのか、今回のアメリカの挑戦が一つの解答として提示されました。それがアメリカ的価値観を世界に押し付けることにならないことを望みます。
理事長通信110525 山岸顕司
江戸初期に俵屋宗達の描いた風神雷神図屏風は、だれもが一度は目にしたことがある日本画の名作です。科学が自然現象を解き明かし、気象学が情緒に覆いかぶさる前の時代に、風神様と雷様は天変地異を起こす張本人のように描かれています。突風を吹き起こす袋を抱える風神様と、アーチ状に小太鼓を背負いながら雷鳴を打ち鳴らす雷様は、怖くもあり、ユーモラスでもあり、時代を超えた名作は京都の建仁寺に奉納されています。あるとき私の目を引く写真がありました。晴れ渡る建仁寺の庭を見晴らす奥の間に、宗達の風神雷神図屏風が飾られていましたが、隣には同じほどの大きさの書の屏風が対を成して置かれています。書は宗達が描いた絵と似た構図で、右の屏風に大きく風神、左に雷神と書かれています。「風」の文字は風が強くそよぐさまが、「雷」には雷鳴の轟きが描かれ、書としての表現力が隣の宗達に引けを取らない強さを放っていました。国宝の屏風の隣に飾られるほどだから、この書はいったい誰の手になるものか、明治の書家であろうか、と興味を覚えましたが、その時は写真の解説を読み飛ばしたため通り過ぎてしまいました。あるときテレビのドキュメンタリー番組を眺めていると、以前に覚えのあるその書をまた見る機会がありました。作品を語る人は落ち着いた上品な婦人で、この方が作者であったかと思って聞いていると、「私は俵屋宗達の風神雷神図を本人に見せてはいません。そのイメージを言葉で伝えました」と言っています。はて、この方が作者でないならばだれがその書を書いたのかといぶかると、その方のお嬢さんでした。
個人的な話に飛びますが、私の娘は風の強い日の散歩が好きな赤ん坊でした。ベビーカーに乗せられ、かたことと揺られながら、強く風が吹くと目を細め、顔に当たる風を感じ取っているようでした。そしてちいさな手を空に伸ばし、てのひらを握ったり開いたりするしぐさを繰り返していました。なにをしているのだろう、そう思って私は眺めていると、風の存在をまだ理解しない娘は何かの力がそこに流れていることを不思議に感じ、いま、この瞬間に顔に当たるなにかが何であるかを確かめるために手でつかもうとしているようでした。毎日が生まれて初めてという経験を積み重ねる中で、ああ、この感性も娘が成長して体験が増え、知識が備わると消えてしまう感覚だな、今この姿が見られてうれしかったな、ずっとこの日の光景を覚えていよう、そう思ったものです。
その光景を思い出したのは、テレビ画面に風神雷神の書を書いた本人が映し出されたときでした。それは若き書家である彼女が母とともに公園の池のほとりを散歩していた折に、吹いてきた風に両手を広げて空を見上げた姿でした。目を閉じ、全身で何かを感じ取った彼女は 近くの大木に近寄り、その幹を抱き、額を木にすり寄せ、そしてお願い事を唱えました。彼女は近く、鎌倉の建長寺で観衆が見守る中、書の大作に挑む予定です。お父さま、これから私は花鳥風月を書きます。一生懸命に書きます。どうか私を見守っていてください、と。彼女はたくさんの愛をくれた父を14歳の時に失っています。心臓発作でした。しかし彼女の心にはいつも父がいて、父の存在を間近に感じるときがあるようです。25歳の女性としては幼いほどに無垢なままの感性をもつ彼女は、じつはダウン症の障害とともに生きています。
理事長通信110602 山岸顕司
月刊誌「致知」に前回紹介した書家である金澤翔子の母、泰子さんと福島智東大教授(失明、失聴の盲ろう者として初の東大教授)の母令子さんの対談がありました。二人の母親はわが身の経験を互いの苦労と重ねあわせ、それはなにかを分かち合うような対談となりました。書家の母は42歳の初産で授かった娘に重篤な障害があったことにどれほどの苦しみがあったかを語りました。ダウン症であり敗血症で生まれた娘を、医師から治療をして生かすかこのまま逝かすかと父は尋ねられたそうです。そのとき父は天を仰ぎ、主よ、あなたの挑戦をお受けします、と答えたという話を明かしました。母は娘のその後の成長を喜ぶとともに、神さまが為さることには必ず意味があると、ずっとあとになって夫の決断の意味を学んだと伝えました。一方教授の母も、苦しみの果てに神はこの世に不要なものはおつくりにならないという境地に至ったと言い、智少年は、9歳で両目の視力を失い、18歳で聴力を失った僕をこのようにしたからには何か大きな意味があって、神は僕に何かを託しておられるのではないかと思う、そう語ったそうです。わが身に起きた不条理を静かに受け入れるまでには深い悲しみと苦しみ、そして相克があったはずです。なんらかの力によって与えられた一人の命でも、その意味を見出すことは難しく、普通に何事もなく人生を歩む人以上にその意味を問う人生であったはずです。
人は何のために生まれてくるのかと問われたときに、私は躊躇なく、幸せになるためだと答えます。人は幸せになるために生まれてくるのです。一人前の大人なら、この世に生を受けた権利を有するのだから、幸せだと感じられる人生を自分の力で送ることが、果たすべき義務でもあります。今現在、何らかの理由で苦闘中の人の心には共鳴板が音を鈍らせ響かないかもしれません。幸せになることが義務だなんて、そんな重い十字架まで背負いたくない、なんて悲観しないでください。唯心浄土です。だれでも心に幸せはもてます。
幸せの自己実現にはいくつかの段階があるでしょう。この世に生まれ、子どもとして幸せに人生を歩み始めることで、自分という存在の価値を知ります。それがなければ自分の存在を確かなものに思えません。また自分を大事にできなければまわりの人を大事に思うこともできません。親のネグレクトや無関心の中で育つ子のかわいそうさは想像を越えます。もちろん自分ばかりが愛情を受け、世界に受け入れられていることを実感することに執念するだけでは一方通行です。愛情を受けた人は次の段階で、愛情から発する行動をまわりの人に対して起こせるように、実際に行動するスキルを人生の過程で身につけていくことが大事です。幼児の期間ぐらいわがまま勝手に振る舞える自由を認めてやれ、という意見も聞こえてきそうですが。幼児は3才までに世界の成り立ちのほとんどを感じることができます。情緒的なことは3才までに脳に入ります。次に3才から6才までに秩序を理解します。6才までに基本的な知的活動に必要な術を身につけます。そうして6才以降の学習生活に入っていきます。いいハードができてしかるのちに学齢期に入るというのが自然な進め方です。一昔前までは山ほど家にあったことですが、手伝いや自分の役割を果たすことで、自分が自分のためだけでなく、人の役に立っているという実感が持てる暮らしを見つめ直してほしいと願います。6才より高い学齢の子であるならなおさら実行したい事です。
理事長通信110608 山岸顕司
自分がこの世に生まれたと言えば自らの意思で生まれた錯覚がありますが、自分がこの世に生を受けたと言えば神様の意志により生を授かった感覚が芽生えます。自分が生を受けたことには必ず意味がある、その意味にたどり着けた人は真の意味で幸せを掴めると思います。平穏な生活に疑問を抱き、人生の目的を見出すために山に入り荒行の末に答えを求める人は多いと聞きます。その結果、現生を離脱して出家する人もいます。どれほど悲しいことがあっても、どんなにつらくても、生きていかなければならない。それは強さであり、柔軟さであります。しかし自分に与えられた生をじゅうぶんに生きるなら、日々の修行の場は実生活にあります。自分の使命を知ることが、自分自身で本当の幸せを理解する道です。書家金澤翔子を手本にとれば、母は苦しみの果てに神さまが為さることには必ず意味がある、と与えられた力を活かすことの意味を知りました。書家は母に書の指導を受け、母は神様から与えられた試練を娘と共に生きました。母もまたその母から書の教えを受けています。神さまは三代100年かけて金澤翔子という書家を創造されたか、人に勇気と希望を与える大きな存在の書家としてこの世に遣わせたかと思いました。当事者でない無責任さを許していただくなら、彼女の魂と感性を永遠に無垢にとどめるために、彼女は染色体を一本多く神さまから受け取ってこの世に誕生したのかもしれないと感じました。彼女の才能の開花ぶりを驚嘆するのは買い被りではないと思います。
小さい時に、将来何になりたいの?という普遍的な問いかけがあります。自分は将来なにをしたいのか、何に向いているのか、年若い人が成長の過程で必ずぶつかる壁です。それは漠然とした不確かな疑問であることが多いでしょう。昨日と今日とでは判断の基準が異なるほど短期間にさまざまに揺れ動く感受性でそんな大きな判断を下すことは難しいでしょう。若者が世界を目指すとき、自分探しをするという理由があります。なにが好きなのか、何に向いているのか、自分がなにをしているときが楽しいのか、たしかにそれは自分探しであり、自分の喜びを発見することですが、揺るぎない真実は自分の心の奥底で息をひそめているという場合も少なくないものです。直しても直しても直らない欠点、それが個性だ、という言い方があります。自分の欠点をコンプレックスに思い、克服を試みるうちに個性として定着する、そういったこともあります。自分が好きなことは間違いなく適性が高いと判断できます。しかしそれが使命に直結しているかどうかは別問題です。使命は自分の喜びであるとともに、周りの人や世界に求められるところに意義の違いがあります。自分が楽しく、しかも周りにも影響を与えられることがあればそれは人生を通してやりがいのあることです。使命は必ずしも目先や取り掛かりが楽しいことであるとは限らないのです。むしろ嫌で嫌でたまらないことを辛抱するうちに道が開け、それが天命につながっていたと後から発見することがあり、そこに難しさがあります。その家に生まれたことが宿命ということもあります。嫌だから逃げていたでは人生の答えには至らないです。辛いことに耐えて辛抱を重ねること有余年という日々が人生の中にあってもいいと私は思います。親が過干渉しなければ、親が子の危機に先回りして、子に降り注ぐ試練を身勝手に取り上げることがなければ、きっとわが子は成長すると私は信じています。
理事長通信110707 山岸顕司
人間というものは使わない感覚は退化します。学生時代には絞り出してでも使わざるをえなかった学力ですが、ほぼすべての知識が忘却の彼方へと流され、簡単な暗算すらあやしくなってくるのが悲しいです。学力は形を変え、ワーキングメモリーは残り、社会的知力が伸びてくるのがせめてもの救いですが。生物の進化を見ると、姿形が大変貌を遂げるほどの欲求が果たしてあったのかと首を傾げる動物もいます。キリンがいくら木の高い位置に生える草が食べたかったからって、あんなに首が長くなる必要もなかろうにと私など思ってしまいます。私は進化論に懐疑的です。
人の味覚も極めて曖昧で、食材のクオリティはある程度価格に比例しますが、味が価格に比例するとも限らず、味覚を磨いたはずのグルメの味覚が当てにならず、あげ足を取られることが楽しいのもそこに理由があります。私の母は戦前の教育哲学による食事作法で、出されたものはなんでもおいしいおいしいと言って感謝しながら食べる、それが心の栄養になると私に仕込みました。子ども時分のことですからだれしも母の料理に心無い注文を付けるといったことがあるかとは思いますが、そんなとき母は毅然と「文句があるなら食べなくてよろしい」とさっさと料理を下げ、その日は夕食にありつけなかったということもありました。とどめに「男が出されたものを、まずいのへちまのと文句を言うとは何事か。恥を知れっ!」と一喝されたときは、わが家の哲学では、男子たるもの食事に不足を言うことは恥であると強烈に刷り込まれました。味に関してはともかく、管理に関してもおおらかであった母は、時として鮮度を度外視した一皿を食卓に供することもありました。外でも家でもまったく態度の変わることのない穏やかな父は「これは少々下がっているかもしれないね」と物静かに箸を置きましたが、そんなことを言われたって件のおかずはすでに早食いの私の胃袋で、消化を待つ段階に入っています。食べた後に言われると気が滅入るので、そんなことも気にしないように努めました。というわけで私はどこで何を食してもおいしくいただける性質になり、学生時代はどちらの家にお招きを受けてもお母さまに大人気をいただくように育ちました。40歳を過ぎても靴のサイズが一回り大きくなるとともに身長が1cm伸び、高校卒業以降に4cmも身長の自己記録を更新したという珍記録は、厳格な母の教えのたまものです。
幼児英才教室の先生たちは、毎回授業が終わった夕方6時ごろから302教室に集合し、お茶をしながら今日の生徒たちの様子を報告し合います。Aくんが先週までできなかった課題ができるようになりました、とかBちゃんの弱点であるあの分野はこうやって解決できないかとか、それが我われの趣味であるかのように、子どもたちの話題が延々と続く日も多いです。その際、持ち寄った茶菓子をつまみながらということもあります。手すきの折には私がお茶を入れることもありますが、立場上どうぞと差し出されることが少なくありません。今日の指導によって子ども一人ひとりが成長していることを感じながら、いただきものの菓子などを口に運び、渋めのお茶がのどを通ると、憩いのひと時という実感がします。そんな私の表情を見届け、先生方がやおら笑顔でお菓子に手を伸ばし始めることがあり、だいじょうぶそうですね、といった声が聞こえるのでなんだろうといぶかると、お菓子の賞味期限が若干過ぎていた、なんてことがたまにあります。みな私の胃が頑丈なのは知っていますので、まあこれも私の役目ですかねって、コラッ。俺で試すな!
理事長通信110614 山岸顕司
先週、私が都心のとある複合娯楽施設に出かけたときのことです。帰宅直前に私は携帯電話を落としていたことに気づきました。しまった、さてわだちを辿るとどこに行きつくかと思いめぐらし、昼食をとったレストランか立ち寄ったテラスのベンチかと思いました。その場所一帯は都市文化発信の地として再開発事業が行われ、新しく生まれた複合施設です。当然サービス機能も新しく、旧態依然としたものではないはずです。私はインフォメーションセンターに電話をかけました。事情を説明すると、レストランにはつなげないので個別に電話をしてくれと木で鼻をくくったような案内です。組織として硬直しているなぁ、と失望しつつwebで電話番号を確認しかけ直してみました。はたして携帯電話の忘れ物はありましたが、私の電話はストラップやケースなどなく特徴のないものです。それが自分の物かどうか確信が持てません。私は名前を告げ、連絡先としてその携帯電話の番号を伝えました。そして確認のために、お手数をおかけして申しわけないが私の携帯電話を鳴らしていただけないかと担当の女性に頼んでみました。以下やり取りです。女性「お客様の電話は操作しないことになっております」。私「私がそちらへ出かけて確認すれば良いのはわかっていますが、特徴のない電話なので私の物ではないかもしれません。違うとなると、また別のところを最初から探さなければならないので」。少々お待ちくださいという声の後、電話は保留となりました。私はてっきり電話を鳴らして確認中なのかと期待して待っていると、上司とおぼしき男性が電話を替わりました。私はまた再度いきさつを説明し、以下やり取りです。男性「こちらではお客様の電話を操作することはしませんので」。私「私はなんら電話の操作は頼んでいませんので、ただお伝えした番号に電話をかけていただきたいだけなんですが。電話が鳴れば私の物と確認できますので」男性「申し訳ありません。こちらの規則がございますので。こちらで確認させていただけるとすれば、お客様の携帯は待ち受け画面はどのようになっていますでしょうか」。私(待ち受け画面を確認するって、それは電話を操作することではないのか?それは規則に反するのではないのかといぶかしく感じましたが、余計なことを私が言うことでさらに事態が遅滞すると面倒が増すので従いました)。「風景の写真ですが画面には小さなアイコンがたくさん並んでいるので確認しづらいと思いますが」。沈黙の後、男性「・・・やはりわかりづらいですね、少々お待ちください」。私(おいおい完全に客の携帯電話を操作しているじゃないか!面倒くさい規則はどこへ行ったんだ)。唖然とし声も出ず。しばらく待たされたのち登場したのは、さらに上長と思しき男性でした。「ただ今お客様の携帯からコール音が確認されました」。私は疲れました。このドアホ硬直組織!と思いました。機能と思考の停止は本人のせいであり組織のせいです。要点を整理すると、現場の女性は規則で縛られており、マニュアル通りの対応以外は禁止されている。直属の男性上司も同様である。二階級役職が上の上長の判断がなければ現場で起きるさまざまな例外的な諸雑事の処理がなにもできない。この会社は社員に考えることを禁止しています。そして社員は客の利便を考えて行動するという、客にサービスを提供し喜ばれることがうれしいという客商売の醍醐味を放棄しています。私が万一間違えてこんな会社に入社してしまったなら、社員教育を受けている段階で気づいて辞めます。しかし似たようなことは日本全国各地で起きています。それは現場を担当する個人が思考停止しアホである場合と、上司を含む組織全体の思考が停止し会社全体がアホで包まれている場合とがあります。
理事長通信110713 山岸顕司
なにかと昔はおおらかだったなあ、と邂逅するとともに、なにかと近頃はせちがらいなあと思うことがあります。街なかで裏通りを縦横無尽に駆け回って遊ぶ子どもの姿も見かけませんし、子どもに注意を喚起する「こらっ!」という大人の声も聞きません。子どもというものは遊びの中で危険に対する耐性を身につけていきますから、よく遊ぶ子は危険を感知する能力も高く、大人から見れば相当危険に思えるような遊びもものともせず遊ぶものです。まれに運の悪い子が死んでしまったりしますが、ほとんどは怪我ぐらいで生き残るので、それほど社会も口うるさく言わないものでした。最近のママのようすをひとつ報告すると、宝物の一人息子を毎日そっと宝箱から出しては、ほこりを払ってまた宝箱に戻すような子育てをする方もいます。「ジャングルジムは危ないから、登るのは三段まで。四段目より上は落ちたら危ないから絶対に登ってはダメ」これでは男の子が育たないよな、と嘆息します。
ちなみに私が子どもの頃、遊びの最中に高所から落下しそうになったことが二回ありますが、状況は以下の通りでした。当時の学校はエアコンディショナーなどありませんので、夏は窓を開放する、冬はだるまストーブでコークスをたき暖をとるという生活です。小学校の屋上の時計台の両脇には、ストーブから出る煙を排出する煙突がありました。煙突の突端はもちろん校舎でもっとも高い位置にあるものですから、これは順調に男の子としての発育途上にある小学生にとって登らないわけにはいきません。煙突の頂上でバランスを取るというのは、なかなかスリリングな遊びでした。前に落ちれば四階下の校庭ですが、前に倒れさえしなければ、後ろは屋上の床がありますから、落下してもしりもちをつく程度のことです。遊びもだんだんエスカレートしますので、煙突に乗せた足が片足バランスに発展するまでに時間はかかりませんし、その体勢のまま両手でとるバランスをやめて手を10回たたくとか危険度は増していきますが、その最中に突然、校庭から見上げた先生が天空を切り裂くような悲鳴が轟かせたときは正直驚きました。煙突の上でぐらっとさえしました。大正生まれの女性教頭が校庭に倒れる姿も見えました。その後はお決まりのコースで校長室に出頭の身となるわけですが、私には自分の危険を自分で守れる自負がありますから、叱られる理由を胸に収められません。なぜ登る?と問われても、そこに煙突があるから、なんてなもんです。これは全国的に当時としては標準的な小学生だと思い、だれかと分かち合いたくて話をするのですが、なぜかそういった人物と遭えずにいます。もう一回の危機もまったく同じ状況です。学校近くに証券会社の大きな社宅があり、敷地も広く、高低差のある土地をまたいで建てられていたせいで、子どもが探検をするのにうってつけの箇所が多くあったのです。高低差が約20mありましたが、急こう配とゆるやかな斜面が入り組む土地は砂利で固められスロープになっています。これをフリークライミングのように登っていくあそびは、特に活発な男の子だけが挑戦する最高峰の遊びでした。その遊びの最中に、社宅のママが放った一声は、私が人生で聞いたもっとも周波数の高い金切り声でした。当時は(今もであってほしいなあ)だれがもっとも危険な遊びをするかをクラス中で競うという風潮がありましたので、私は学年で一番早く骨折しギブスを巻くという名誉に浴し、面目を保ちました。ギブスに友だちが書き込むいたずら書きを含め、男の子には勲章というものがあります。(私は両手両足でギブスを巻いていないのは左の足だけです)ママにはその機会を奪ってほしくないんだけどなあ。
理事長通信110720 山岸顕司
私はかつて、これほど晴れやかで明るく、力強く底抜けにはつらつとした笑顔を輝かせた群像を見たことがありません。「歓喜」という題名の生きた塑像の傑作として、その姿を永遠に記憶にとどめることができそうな笑顔を見せてもらいました。思えば1964年、東洋の魔女と称賛された東京オリンピックの時の女子バレーボールチームの選手たちは(なんとヘアスタイルは長いみどりの黒髪を高く盛っている)、ソ連を決勝で破り金メダルを決めた瞬間、小走りで皆が歩み寄り、小さくぴょんぴょんと控えめに2度3度ジャンプし、下を向いてめそめそと涙するという、風流というか奥ゆかしいというか、これぞ大和撫子の恥じらいと世界に印象づけたあの日から47年、約半世紀、2世代を経て進化したのが新生大和撫子であるNadeshiko JAPANでした。(ちなみに東京オリンピック開会式でソ連チームの行進の先頭をつとめたのは重量挙げの最重量級で金メダルを獲得したジャボチンスキーでした。旗手として、風にはためく畳6畳分もあるかと思えるほどの大きなソ連国旗を、まっすぐ水平に伸ばした片手一本で!持ち行進した姿は、その脅威がいまだに拭い去れないほど強烈に私のまぶたに焼き付いています。さらに私が衝撃を受けた彼の言葉がありました。当時、日本は「三丁目の夕日」のころですし、星一徹が子育てをしていた時代ですから、世の中の風潮は圧倒的に男尊女卑でした。いまでは考えられない社会情勢で、日本では男が強くて男が全責任を背負って生きているというのが当たり前でした。一方で外国ではどうやら女が強いらしいといううわさが聞こえ始めた時代のことです。金メダルを獲り、その優勝インタビューでジャボチンスキーが「これで国に帰っても女房にバカにされずに済む」と言ったことが少年の心に激甚なショックを刻み、ジャボチンスキーを思い出してはその身の不幸に同情し涙したものでした)
生物はその大きさと寿命がだいたい比例しているようで、小さな動物は平均数年、象など大きな動物は60年ぐらい、もっと大きなクジラは100年を超す寿命を持つ動物もいるそうです。では人間は大きさからみるとその寿命は本来なら20年からせいぜい30年というところのようです。生物はなぜ死ぬのかという問いに、エネルギーの総量が尽きて生命を維持できなくなるからという答えはあまりに単純だそうで、進化論者に言わせると、一個体として進化に追いつかなくなるから、つまり一個体として自分の脳や体が進化し、その進化に追いつかなくなるから世代が交代し、次の世代が進化を引き継ぐからというのが理由であるそうです。キリンがキリンに進化するずっと前に、細めの牛ぐらいだったとき、いくら高い位置にある草が食べたいから首を伸ばしたいと願っても、一気に50pも首が伸びるわけではなく、せいぜい1,2pが一生をかけて伸びる進化の限界でしょう。しかしひとたび方向づけられた進化は何百年も何千年も継続し、やがてキリンになる(ホントか?)というのが大まかな進化論です。潜在意識に働きかけて勝利を呼び込む、というのは心理学を応用したメンタルトレーニングの教科書には必ず出ている項目です。しかし、そうは言っても戦う前からぜんぜん歯が立たないという思いを払拭することなど、トレーニングでどれほどできるんかいな、と思えるほど高い壁を相手に感じることがあります。勝てるときは相手の力をそれほど意識せずに、勝てそうだなという思い込みがいい結果を手繰り寄せることが多いですし、負けるときは最初から心で負けているものです。自分の脳に働きかけ、結果をプラスにコントロールすることは訓練で可能でしょう。すると肉体の進化は目に見えた進化を遂げるのに千年単位で年月を要するが、精神の進化は自分の代で進化を実現させることができる、これを証明したのもなでしこジャパンではないでしょうか。
理事長通信110803 山岸顕司
唐突ですが、私は先々週、咽頭にできた腫瘍の切除手術を受けました。今現在、ご家族がご病気で苦しんでおられる方や、介護等でお疲れの方もいらっしゃるかと存じます。私も苦しみを分かち合い、理解し合える立場におりますということで少しご報告します。私は科学的考察の重要性を常に念頭に置いていますが、一方で、やはりこの世には科学で解明し切れない大きな存在があることも感じています。その最たるものは神の存在です。神さまがどこにいるのか、存在を特定してそれを物質量で示して証明しろとか言われても、それは請け負えませんが。ときどき申しますように、私は本家の菩提寺に毎年参拝します。私を特にかわいがってくれた祖母に一年のあいさつに顔を見せるのですが、今年の墓参りから帰ってすぐに体調を崩しました。風邪をこじらせ気管支炎になってしまい、行きつけの病院でカメラを鼻から通して診察中に「おや?」ということがきっかけで患部が見つかったのです。その場で組織を少し切り、生体検査に回し、2週間後に結果を聞きました。ドラマだとここで重々しい表情の医師が映し出され、「じつは、申しにくいことですが・・」と苦渋の口火を切り、主人公がえっと息をのむ顔にスイッチされ、再度医師の口元がパンアップされ、「癌です」と宣告があり、ぱっとシーンが転換し、公園で揺れるブランコを主人公が遠く眺めながら今までの人生を邂逅し、思い残した何かに、残りの生を燃やし尽くそうと命の炎をたぎらせる・・となりそうですが、実際にはそんな仰々しいものではなく、「検査の結果、腫瘍が癌化する可能性は低いという数値が出ていますが、細胞が少し崩れていますのでどうされますか?」という先生の説明に、私は「じゃあ、パッと切っちゃいましょう」というぐらいのものでした。手術の説明に移り、患部の反応が強い(オエッとなってしまうあたりですね)と、これはもう全身麻酔で最低3日入院を要するとのことですが、幸い私はそれほど敏感なたちではなく、また痛みもなんとか精神力でカバーするたちです。おまけに時期的にこれから夏の講習会ですし、迷えるママたちが門前に市をなす願書の添削も何百枚もありますし、合宿だって控えているのでそんな悠長なスケジュールは通りません。だいたい理事長通信に穴があけられません。全身麻酔で手術などしたら回復までに2,3週間はかかります。そこで医師に、痛いのはがまんするから局所麻酔でその日のうちに帰してくれとお願いしました。私は小学生の時、初めて腕を骨折したときも母に一人で病院へ行きなさいという育てられ方をしましたので、日帰りの手術など当然一人で出かけ、帰りがけにコンビニで、のど越しのやさしい冷やしそばでも買ってその日の食事にしようと思っておりました。ところが、この20年なんら気遣いをされた記憶もない妻が急に付き添うと言い出し、ぎこちない献身に当惑しつつ当日を迎えました。無理を言い、最短日程で手術を設定していただいたので、当日は執刀医の先生や看護師の方たちに少しばかり心遣いなどをお持ちして、手術となりました。手術開始時に執刀医が「それではよろしくお願いします」と発声し、私を囲む看護師が「よろしくお願いします」と続き、空に向けて大きく口を開けたままの私が「よおひくおねあいいまう」と締めくくりました。信頼のおける(おまけに美人)先生が一切の不安を払しょくする手際の良さでまったく順調に事を運び、短時間で無事成功しました。しかし手術というものは、麻酔が切れるときついものですね。でも2日休み、土曜からは元気に仕事場に戻れました。その日から連日、毎日何人ものママの、ある日は迷える父のご相談に乗ることができ、少しばかりの人助けが実感できる、ありがたい毎日がまたやってきています。まったく軽くすんで助かりました。私はご先祖様のご加護のおかげだと信じています。墓参りは絶対に効きますよ。人生最強の膏薬です。
理事長通信110908 山岸顕司
ライカというブランドは、技術がフィルムカメラからデジタルカメラに完全に移行を果たした現代においても高級カメラの代名詞として知られています。戦前は家一軒が買えるほど高価なカメラだった、というファンタジーがその伝説を支えています。それが事実だったのか検証してみると、1920年代後半のライカ一台の値段は現在の貨幣価値に換算して一千万円程度だったようです。確かに高額ですが、それは家一軒の値段と比較するには価値に開きがあります。さらに調べると、当時東京郊外であれば、庭付き一戸建てがその値段で買えたという証拠が出てきて驚きました。需給バランスで物の値段は決定しますが、80年後のライカM9Pは70万円ほどで銀座の老舗カメラ店ばかりか、家電量販店でも手に入れられますが、一軒家で70万円という物件は、沖永良部島あたりまで行けば手に入るでしょうか。
もともとライカという名前の由来はオーナーの名前からきています。創業者は顕微鏡を作る会社のオーナーであるエルンスト・ライツといいます。ライツが作ったカメラなのでライカというのは本当の話で、その後日本でも、吉野善三郎が作ったカメラだからゼンザブロニカといったネーミングの起源として継承されています。ライツは高精度で精緻な顕微鏡を作っていましたが、そこへツァイスを退職した一技師、オスカー・バルナックという人物が入社したことで会社の運命が変わります。バルナックは当時映画用の35oフィルムを装填した小型カメラの構想を持っていました。彼は熟練工として教育を受けたマイスターではなく、まさに現場の一技師であったため、設計図などの図面は引いていません。残されたものは簡単なスケッチだけです。一種の天才ですね。彼が考案したカメラは、長尺の映画用フィルムを切り出してマガジンに詰めて小型のボディに装填し、撮影したフィルムはマガジンごと取り出して現像するという極めてシンプルな構造のものでした。カメラの構造そのものもシンプルで、鉛のチューブを輪切りにし、横から圧をかけて楕円に潰し、上下にふたをつけてカメラボディにするとは大したアイディアです。そのボディに、顕微鏡で培った高解像のレンズをつけたものが世界で初めて世に出た35o版小型カメラです。子どもの工作程度の発想を高級カメラに仕立て直したところが天才たるゆえんです。会社の規模からすると、現代でいうならベンチャービジネスですね。瞬く間に市場を席巻したライカはその後も技術的改良を重ね、30年後には父親から事業を引き継いだ息子のエルンスト・ライツ二世が、まったく新機軸のライカM3を発表し、初代を凌駕する功績を残し、世界一ブランド力の強いカメラメーカーに発展させました。ライカM3が世に出た結果、それ以前のライカを模倣した日本の大小メーカー(大はキャノン、ニコン、ミノルタ、コニカなど、小は四畳半の工場メーカーまで)の多くが倒産、統廃合の憂き目を見ました。それほど大きな影響力を発揮したカメラでした。
ライツ二世はただ単に父の後継者という座で安穏としていたわけではことは明らかです。そして「獲得し直さなければ事業を引き継いだことにはならない」という言葉を残しています。これは事業を持ち、いずれはわが子にその仕事を継いでもらいたいと願う親にとって珠玉の言葉ではないでしょうか。父の仕事を継ぐとはいっても、事業は人で動くものですから、経営を引き継がなければ継いだことにはなりません。こういう言葉が出てきたことは、彼が仕事を通じ、それなりの洗礼を受けたことがうかがえ、膝を打つ思いの人もいるのではないでしょうか。
理事長通信110914 山岸顕司
子が親の事業を引き継ぐとき、それはスイッチを切り替えて電流の流れを変えるようにすんなりといくものではないのです。会社がある程度の人数を抱える組織であれば、当然のように新参者は新たな軋轢を組織内に生みます。古参の従業員のなかには、自分は先代のもとで働いているのであってお前に雇われているわけではない、とばかりに事あるごとに反発してくる者もいるかもしれません。反対に現在の主勢力から外れてくすぶっている人物は、何かにつけて取り入ってくるかもしれません。世間では腰ぎんちゃくと言いますね。また、わざと現場の実務進行を遅滞させ、仕事を進めにくくするお局もいるでしょう。女性は女性を見て仕事をする傾向が強いですから、女性のトップから信任を得られなければ、その下の女性たちもついて来てくれません。力のない、肩書だけの若い上司など、お局にとって格好のからかい標的です。若い後継者は、もうすでに会社が出来上がっているところに入っていくわけですから、自分の力で新たに人間関係を構築し直さなければならないのです。ライツ二世が残した、「獲得し直さなければ事業を引き継いだことにはならない」という言葉はまさにこれを表しています。要するに、後継者は胆が据わっているか、自ら胆を据えるかふたつにひとつです。逃げ出すか踏みとどまるかの選択はできます。逃げないと決めたら、次は自らが信じる善に向かい、あらゆる困難と向き合い戦い抜くことです。結果がついてこなければ会社は潰れてしまいます。従順ならざる従業員は、我われ従業員を正しい道に導け、正しい道とは会社を潰さないことだ、というメッセージを発しているのかもしれません。ちなみにエルンスト・ライツ二世はその代であまりにも大きな成功をおさめたため、次なる社会の構造変化について行けず、(ドイツのマイスターが技術の粋を投じ高価で高級なカメラを作る時代から、日本の大量生産、高品質低価格にシフトしたため、最後期のライカは高い人件費を商品価格に乗せることができず、作れば作るほど赤字を生んだといいます)三代目で倒産し事業を譲渡しています。現在は創業家とは関係のない会社が「ライカ」のブランド名だけを引き継いでカメラを作っています。
人生における選択というものは、畢竟つねに究極の選択です。人生の道草の途中で、こんなところにも選択があるなと以前思ったことがあります。交通事情によりやむを得ず、ある後進国の航空機に乗ったときのことです。後進国において旅客機の客室乗務員という職業は母国においてきわめて社会的地位や収入の高い職業であり、また高度な教育の機会を得られる家庭に育たないと望める職業ではないので、非常にプライドの高い人が少なくなく、ときとしてその接客態度のクオリティに違和感を覚えることがありますが、これもそのような話です。乗務員の女性に機内食は選べるかと聞いたとき、私としてはもちろんメニューの中から選べるか、また内容はどうかと聞いたつもりなのですが、その女性の答えは「もちろん選べる。食べるか食べないかだ」でした。私には次からその航空会社の飛行機には乗るか乗らないかという選択もできます。帰りの飛行機では、どこからその声が出るのかというほどぶっきらぼうな声で睡眠を妨げられ、Beef ? Chicken? と夕食の選択を迫られ、Beef , please.と言うとやおらNo beef !! Chicken! とチキンの皿を出され、選択ができないなら最初から聞くなということもありました。ちなみに客席や機内のいたるところに「世界一の接客」という文言のステッカーが貼られていましたが、表示する場所を間違えています。客室にではなく、乗務員室に貼っておけ!でしょう。とどめの話。私はその航空会社の飛行機にやむを得ず4回搭乗しましたが、予定通りに目的地に着いたのは2回だけで、その2回とも別の国に到着しました。これはもう時化にあって流され漂着した海賊船みたいなものですよ。選択間違いが引き起こす人生の寄り道は楽しいですね。
理事長通信110927 山岸顕司
ある生物学者によると、動物は体の大きさに比例して生命体としての寿命の目安がつくと言い、その説によれば人間の平均寿命は30年から40年ぐらいがせいぜいだそうです。その説で言うならヒトの寿命は長くはないですね。またある生物学者に言わせると、人間に備わった機能から計るなら、その寿命は前説よりはるかに長く、病気での消耗や心労やストレスを極限まで減らす生き方ができるなら、平均寿命として120年ぐらいは優にあるということです。織田信長が桶狭間の決戦の前、照明に薪を焚いた夜の舞台で、人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を受け滅せぬ者の有るべきか、と謡い舞を披露したそうです。人生を50年と限って考えると、限られた時間でやらなければならないことは山ほどあるなぁと感じます。もっとも80年の時間がふつうに与えられた現代でも、急いで結果を出さなければならないことは山ほどあり、人生を楽しむ、あるいは楽しむための人生はどこかおざなりになっている感が否めません。人生を80年とおおざっぱに考えるなら、4分割して20年ごとに区切って考えることができます。この世に生れ落ちてから20歳までは、人生を生き抜くためのスキルを身につける時期。21歳から40歳までは社会の中で自分を確立するために自分や世界と格闘する時期。41歳から60歳までは、それまで歩んできた人生で達成を感じ、あるいは見切りをつけ、自分自身と折り合いをつけ和解する時期。61歳から80歳までは、人生の実りを十分に味わう時期。と思いつくままに定義してみましたが、まだまだ洞察が浅いかな、この若造めがと自分に言い聞かせてみます。
前だけ向いて歩み続ける人生がもっともストレスがないとはよく言われることです。人生を振り返ると、どれほど一生懸命に歩んできたつもりでも、幾ばくかの後悔や苦汁にむせ返ることがあります。人はどうやら、何かに挑戦し失敗して悔やむより、挑戦せず、やりたかったことをやらずに過ごしたことを後悔する傾向が強いようです。以前ある放送作家が「死ぬまで一週間と仮定したら、今何がしたいか」というテーマでアンケートを取ったところ、ほぼすべての回答に書かれていたことは、死を前にした一週間でなくても、今すぐにでも実行できることばかりだったそうです。別に総理大臣になってこの国を変えたかったとか、ウィーンフィルハーモニーの常任指揮者になりたかったとか大それた希望ではなく、だれにでもすぐに手にできそうな希望なのにそれすら多くの人は行動を起こさず、夢想して過ごすだけであることに私はショックを覚えました。人間の想像力は果てしないものです。多くの不可能を実現して来たり、10年前には想像の世界であったことを現実のものとしたり、夢も希望も頭に思い描くことができるものなら、ほぼすべてのことを達成できるほど素晴らしいものなのに、わが身に起こす夢はごくごくささやかなものでした。
実は今朝まで私は今週の理事長通信が一語も書けずに悶々とした数日を過ごしてきました。なぜ今まで書けなかったというと、多くの私立小学校が願書の受付を開始するのが10月1日であるからです。この数週間は幼児英才教室のお母さまたちが、いつもの整った美貌をかなぐり捨て、睡眠不足の充血した眼と総毛を逆立てたご様子で、私の前に門前市をなすかの如く並び、添削の順番待ちをなさっていたからです。私のささやかな助力でも合格への一押しになれるかもしれません。受験する学校を最終的に決定する前に、ぜひご自身の判断のみで決めるのではなく、我われが掴んでいるわが子の適性をもう一度考慮に入れていただきたいと願います。そして、もし決断がつかないなら、安全な道を確保しつつ、受けなかったことでその学校に後悔を残さないように、進む道を選んでいただきたいと望んでいます。
理事長通信111005 山岸顕司
一年の計は元旦にありと申します。私の仕事にとって元旦は11月1日と2月1日であるように感じます。いずれも都内の私立小学校入試と中学校入試の開始日です。高校、大学受験の一般入試がこの後の日程で続きます。特に小学校受験の準備はご家庭と一緒に進めますので、ママ、パパの顔が常に見え、一層の共同態勢の感が強いです。子どもを伸ばす秘訣は、親がわが子の成長をあきらめないことに尽きます。我が子はいつか伸びる。きっと伸びる、そう信じて希望を捨てないことです。すべての子は何らかの才能に恵まれて生まれてきます。その才能がどこに眠っているのか、どれが才能なのか、それを見極めて引っ張り出し磨くことで才能は初めて輝きます。あきらめたらその時点で終わりです。しかしこれを言う前に、まず親御さんを励ます役目を持つ私が、ママへの指導をあきらめないことがあります。私の仕事の半分は、ママの不安を軽減することです。ママが不安に過ごすとその不安は100%わが子に伝わってしまうからです。ママが受験のプレッシャーで情緒不安定になったなら、間違いなくわが子にはそれが伝わります。ですから精神面でママに安定していただくことは極めて重要なことです。もちろんそこにパパがいて支えていただくことが重要ですが、いくらパパが優秀と言えど、こと受験に関してはプロの指導に道を譲るでしょう。ですから引き受ける私も責任重大です。
わが子の苦手分野がなかなか改善できない、成績が伸びない。家庭で勉強が進んでいないなど、うまくいかないから不安になるのであって、ママは努力を重ねています。まず、ママが一生懸命であることを認めてあげることから始めなければいけないでしょう。自分なりの方法で一生懸命にやっても効果が上がらなければ、客観的に診断できる指導者に改善策を聞き、虚心坦懐に改善策に沿って実行していくと効果が見込めます。虚心坦懐にできるかどうかというところが、実は大きな転機になるはずです。なぜならそれは、基本的にママがやりたくないことである場合が往々にしてあるからです。慶応会では、幼児の知力の向上はペーパーで行う以前に、もっと生活に根差した本質的な改善を図るところから始めます(実は小学生も中学生も、高校生でさえも同じです)。たとえば生活面で自立していないことが理由で子の依存心が強い場合など、生活全般の根本的な見直しをして生活習慣を根底から作り変えるほうが、はるかに成績向上に効果的です。ママの過干渉に起因する、子の精神的な弱さなどはその最たる例で、見守ることができずにすぐに差し伸べてしまう千手観音のようなママの手から子を遠ざけるのは至難の業です。こちらとしては再々のアドバイスが無視されるということになりがちです。結果、なんら子に変化の兆しも見えず、相変わらず自分で何もできず、したがって先生の指示を注意して聞く集中力も伸びず、成績も低迷したままという例がまれに発生します。そこが不十分であれば指摘しなければならないので私はつらい立場です。ママが大変であることを受け入れて理解してあげたいのに、以前ご相談をお受けした時にお伝えした、生活面での改善策を実行していただいていないとなると、叱らなければならないこともあるからです。旧友の医師が深く嘆息して、患者さんに親身に生活改善をアドバイスしているのに断煙すらしない肺ガン患者にいったいその先にどんな治療ができるんだと頭を抱えている姿を見たことがあります。そこまでは同意できます。しかしその後に、やめられないなら心の病だから私の専門じゃないな、と続けた発言には反対します。患者さんに心からの同意を取りつけて、一緒に治療に参加させる努力を放棄したら医者として終わりです。行動に移らせることができないとは、まだ心に届く説得ができていないということですから。私も一層の高みを目指す登山はまだまだ続きそうです。
理事長通信111009 山岸顕司
私は毎月、幼児英才教室の年長クラスでご父母にお集まりいただき、子育てと受験の悩みを雲散霧消させる理事長講座を行っています。10月の父母講座は年度の最終回です。次の文章はご父母にお渡しする冊子の締めくくりのくだりです。以下抜粋。「最後に、一番大事なことをひとつ。お父さまお母さまは、大変努力して今日まで歩んで来られました。ご苦労様でした。でも一番がんばったのはお子さまです。画竜点睛を欠くことのないように、面接の出来がどうあれ、受験の結果がどうあれ、我が子の前でがっくりとした様子を見せることのないように最大限の役割を果たしてください。そしてここまで成長してこられたことを喜び、お子さまの努力を最大限に評価してほめてあげてください。抱きしめてくしゃくしゃになるぐらい頭をなでてあげてください。次にお父さまにお願いです。お母さまのご苦労を十分ねぎらってあげてください。食事でも、プレゼントでも「ありがとう、ごくろうさま」の一言でもいい。約束ですよ。そして最後にお父さま、ご自分の機嫌はご自分で取ってください。「男はつらいよ。でも家族のためだからやり甲斐があるぞ」といった父親の心意気の見せ所です。一人でがんばったお母さま、私から心より「ごくろうさま。よくがんばりました。偉かったですよ」。最後まで、そしてこれからもずっと応援しています。」以上
男はいつの時代にもやせ我慢の美学があります。しかしそれは、神話を支えてくれる「だれかの心」が見守っていてくれることを信じているから貫ける我慢であって、汲んでも尽きぬ泉や永久動力ではないのです。現代において父親という存在は前時代と違い、家庭内で権威を象徴する機関ではなくなり、本来の機能を果たしづらくなっているので、なおさら男は脆弱になっています。私ごとですが、わが家では誕生日前の一週間をバースデーウィークと称し、その週は毎日Happy birth day to you〜と歌います。気づいた人が自然発生的に口ずさみ、周りの人が唱和するのです。なぜ?私はもともと、とりわけ家族の結束が固い家に生まれ育ちました。一家の信頼を集めた父を中心に、万事父を立てる母が囲み(実際には当然のことですが、母がしっかりと家庭の中のことは切り盛りしているのですが、建前としての権威(父権至上主義)を絶対に揺るがせなという母の努力にほころびは皆無でした。そのほうが母親は楽ですから、これは生きる上での知恵ですね)ですから家族の行事的なものは一切欠かさず手を抜かずしっかりとイベントを遂行してきました。ところがそんな私でも、たった一度だけ、息子の義務を怠ったことがあります。それは小学生のころです。父の日を忘れたふりをしたのです。おこづかいが払底したため、父になにもプレゼントを用意できず、いっそのこと忘れたふりをして過ごすことにしたというわけです。そうは言っても後ろめたさも手伝い、私は玄関でずっと父の帰りを待っていました。手紙の一つでも書けばよかったのに、ありがとうの一言も言えず、今でも後悔しています。しかしそんな私の生家ですら、バースデーウィークと称して家族の誕生日の一週間前から歌を歌うなどということはしたことがありません。これは私が苦汁を飲み込んだ経験に端を発します。娘がまだ一歳の頃、妻も忙しい最中ですから責められたものではありませんが、私の誕生日を忘れくさりやがって 忘れたわけです。ま、たいしたことではありませんが。もっと粗末な扱いを受けているお父さまからは飲みに誘われそうなほど些細な話ですが。50歳の男というものは50年も年を食ってしまった5歳の男の子と変わりませんから、基本的に心はガラスのハートです。ですから、今度忘れられたら俺はもう生きていくアイデンティティを失うとばかりにまず、妻の誕生日の一週間前から私が歌い始めた、というのが起源です(妻は今年も当日を忘れましたが)。ちなみに私は、ジョン・レノンと同じ誕生日です。彼にはちょっと親近感がありますね。
理事長通信111014 山岸顕司
昨年、慶應幼稚舎の入試でこのような出題がありました。月齢別に分けられたあるグループ、約25人の受験生(とは言っても6歳の幼児ですが)の前で入試担当の先生が問題を出します。先生は今年の重大ニュースを紙芝居の形式で見せ、幼児の耳目を集めました。引き込まれますね。次に幼児たちに画用紙が配られ、先生は幼児に、自分にとって今年の重大ニュースを絵に描きましょうというテーマで出題しました。はい、開始!時間は10分足らずです。私がこのテーマで描くなら、今年は激動の年でしたので、到底一枚では描き切れません。
今年も小学校入試に際し志望校の願書添削で、私とご父母との間でキャッチボールが繰り返されました。すべての会員さんからの、ご依頼をお受けした願書について、提出を受けては添削してご父母にお返しし、書き直して提出していただきさらに添削してお返ししまた書き直しということを繰り返し、ようやく終了すると今年は230回も私とご父母との間を願書が往復しておりました。合格していただけるなら私はなんでもやります。第一志望合格はご家庭の夢だからです。都内の私立小学校入試は願書の提出日がおおむね10月1日です。9月30日いっぱいをもって願書の提出を終えるとすぐに、10月入試校の先駆けとして埼玉県の私立小学校の入試と合格発表がありました。慶応会からは、すでに延べ50人の合格者が誕生しています。続いて18日からは神奈川の私立小学校の入試の開始です。そんななかで私が拙文を綴る直近3回の理事長通信は極めて難航しています。だいたいにおいて才能のある人というのは多作ですので、私のように寡作な文章書きというのはごく限られた、あるやなしやの能力を振り絞り毎回書いております。能力を超えた時点での創作はしんどいものです。
といったここ数週間を過ごしつつ、私は前回の理事長通信の締め切りの朝、遅々として進まぬ文章にいらいらし、私の指が動くことを今や遅しと待つキーボードを、その期待に応えるでもなく眺めていたところ、静寂を破る物音に我に返りました。玄関を響かせるチャイムの音は慌ただしく、また物々しい雰囲気です。そして出てみるとご近所のご婦人が血の気の失せた表情で、声を絞っておっしゃいました。「お母さまが、駅前の歩道橋で階段から転落されて、今、救急車を呼んでいます。早く行って差し上げてください!」と。私は突然のことに驚愕しました。もちろん、もちろんのこと、私はまず母の安否容体を心配しました。しかしそのせつな、親不孝な私はなぜ、何ゆえに今日この時間に!と思いました。(だって締め切り前だぜ)。まず足を骨折していたら80を過ぎた母はもう回復の見込みが薄いでしょう。足が弱ると頭脳が弱ります。正常な脳でも運動機能が低下するとそれに連動して脳機能は必ず落ちます。歩かなくなったら老人はほぼ、おしまいです。パケホーダイは定額で助かりますが、ボケホーダイの介護には上限がありません。まず老人は、今日表に出たら何が起きるかわからない、幼児のひとり歩きと同じだというのが現実です。(ご心配をいただいては申し訳ないので結果を先に申しますと、おかげさまで母は、入院はしておりますが、後頭部に大きなタンコブがひとつと背中の打撲という軽傷で済みました。)憎まれっ子世にはばかるという言い方がありますので、私はもちろんのこと、猛母と呼ばれた母にしてもそんなに簡単にはかなく片付くわけがございません。しかしその時は、取るものも取りあえず、まず自分の気持ちを落ち着かせ最低限の支度をして駆けつけました。すると横断歩道の手前に、お神輿を荷台に乗せたような黒塗りの車が停まっています。やけに手回しがいいなと一瞬思いましたが、そんなはずはありません。母が乗っていた車はその先に停まった赤色回転灯の点いた救急車でした。続く。
理事長通信111026 山岸顕司
乗り込んですぐに救急隊員の方に容態を聞くと、母は階段の上方から足を踏み外し、踊り場を挟んでその下まで、約20段も転がり落ちたということです。私は息を呑み、ストレッチャーに横たえた母を見ると、首に固定具を巻かれてはいますが母の顔は傷一つなく、よかった、最悪でもこのまま「出せる」と安堵しました(オイオイ)。いや何よりも足の骨折が一番心配です。両足がそれぞれ散歩に出かけ、あらぬ方向にぐにゃっと曲がっていたりするとお陀仏です。私は恐る恐る足元の毛布をめくると、ユビックスをはいたふっくらとした指が10本、揃って天井の方向を向いていたので、どうやら骨折はまぬがれたと直感しました。無事で済んだ理由もわかります。私の母はコロコロと太っていますので、転げ落ちながらも衝撃が全方位的に吸収されたのでしょう。ちなみに国技の相撲において、土俵がなぜ60pの高さに設置されているかというと、相撲取りが平地で転がると全体重をその身に受けてしまうので危険だからだそうです。土俵下に転落する際、60pの高さを転がり落ちるうちに力士の重さが一点にかからず分散され、怪我を免れるという知恵が長い伝統の裏で育まれていたのですね。
転ばぬ先の杖とはよく言ったもので、転倒が予想されるなら、つえを持たせることです。最も大事なことは、そのご老人の介護者が(まだ介護が必要でない方の場合も、今現在が平時であるからただの父か母なのであって、何か事態が起きたら即刻有無を言わさずあなたが介護者になるのです)ご老人本人に必ず携帯電話を携行させることです。まだお持ちでない場合は契約し、本人に実際に使用して持ち歩く習慣をトレーニングしてつけさせることです(その方はあなたにひらがなの読み書きを教えてくれた方ですよ)。そしてその携帯電話には本人氏名、年齢、住所、交通機関の最寄駅名、緊急連絡先(長男氏名と携帯電話番号とか、次女連絡先とか、とにかく必ず頼りになる人に直ぐに連絡がつく手段)を記入したメモを示し(電話にシールを張りそこに記入するとか、ケースに張るとか)、万一の事態の時に、本人の確認ができ、次に緊急連絡ができるようにすることが必要です。万一それがないと、外でご老人が倒れた場合、搬送された病院からお迎えに来てくださいという連絡が家族に届かず、天からお迎えのご連絡が本人に届くことが先になりかねません。平時の時でも携帯電話にGPS機能が付帯していれば、ご老人が今どこにいるかもわかり安心です。私はこれを「バーナビ」と呼んでいます。「今日のおばあちゃま、お出かけ徘徊予想マップ」なるソフトを組み合わせれば家族でゲームもできます。最近の携帯電話はご老人用に高機能ではなく、操作の単純なもの(もっと簡単なものが望ましいと思うので、もう一歩ですが)が販売されています。私はこれを「お達者フォン」と呼んでいます。虫の息の下でも、老父母が赤く塗ったボタンを押しさえすれば緊急連絡が受けられるというのは便利です。それと常時携行が必要なものに健康保険証があります。本当に、一歩外へ出たら、どんなに元気なご老人でも何が起きるかわかりませんので。最後に、次の世代を引き継ぐ我われのすべきことは、平素よりご先祖様のお墓参りを欠かさないことです。感謝の気持ちを日々抱いて過ごせば仏様のご加護がり、厄災は軽く済むものです。さあ、いろいろと準備が必要ですね。新しい携帯電話を父母用に買ったり、暗証番号を設定したり。ついでに本人の記憶と意識の確かなうちにと、親の隠し口座のありかや暗証番号を聞き出そうとか考えないように。邪心は大志の妨げですよ。アーメン。私は罰当りにも母が仏さまの弟子になったときの名を考えてみました。転楽院延命無傷太姉 てんらくいんえんめいむしょうたいし(転落に非ず。災い転じて楽と為すの意。さらに大姉に非ず)なかなかの作ではありませんか。ちなみに私の場合なら、罰当院までは決定ですが、以下は今後の人生の歩み方で、菩提寺のご院主さまに決めていただきましょう。前回と今回、筆が大幅に滑りましたことをお詫びいたします。
理事長通信111102 山岸顕司
30歳を過ぎたある秋の午後、私はお茶の水の駅から坂を下り、昔からある喫茶店に入って、香りの高いコーヒーを飲んでいました。席の向かいには高校の時からの親友がいます。なんにも変っちゃいないなあ、窓から射す照り返しが友人の顔ばかりか、頭まで照らすようになった以外は。私は学校帰りによくお茶の水から神保町や小川町へ抜けて、あてどなく古書街や楽器街を散歩しました。店に共通するのは、ある種の匂いです。古い紙とインクのすえた匂い、そしてギターが発するニトロセルロースラッカーの立ち込めた匂い。散策するうちにトイレをもよおし喫茶店を探すところもあの頃と一緒です。僕らの足元には、買ったばかりのギターが、真新しいケースに包まれて、燦然と輝きを放っています。MTVのアンプラグドに端を発したサブカルチャーブームに触発され、生まれて初めて新品のギターを買ってしまったのです。
先日の休みの日、平日の午前中から渋谷を歩いていました。渋谷にも楽器街があり、休みの散策には最適です。ちょうど昼時でした。しゃぶしゃぶ・すきやき食べ放題という魅力的な誘い文句とともに(しかも野菜、サラダ、ごはんおかわり自由、ドリンクバーつき)、もはや断る理由が見つからないような値段の表示があり、私はこの初めての店に入りました。私の前にはなんと、5人組の女子高生が席に通されるのを待っています。はて?この子たちは(いくら戦略的価格設定とはいえ、女子高生のおこづかいで入れる値段ではなかろうに、おまけに君たち、学校は?)なぜここにいるのかと、おせっかいなおじさん丸出し的観察で見てしまいました。だいたいにおいてケーキに限らずランチに限らず、ブッフェを好む女性客は「もうちょっと控えたほうがいいんじゃないの?」といった体型の方が多いです。隣の席でその女子高生たちも、今が盛りと言わんばかりの猛烈な食欲で90分食べまくり、仕上げにスカートのホックを外して、「あー食った食った」とハラつづみを叩いて見せました。まあ親の立場で見れば、元気でよろしいという感じですが。私の娘も明らかにこういったタイプですので。さて、男の子はどうだ?と探したところ・・・店内はかなりの広さがあり、途中途中にインテリアの柱が立ち、独立した空間を配置しているせいでなかなか見渡せません。私は野菜のおかわりのついでに店をくまなく歩いてみました。すると、女子高生4,5人のグループがなんと4組もいましたが、男子高校生が1組もいません!一人としておりません。女子高生が、食った食ったと空になったお肉の皿を重ねているのに!・・ゴルァ、男ども、おまえたち、どこで何やってる。ここに女子がいっぱいいるぞ、男ども肉食って恋愛しろー!
私は生涯非婚率の数字を気にしています。このままの推移でこの先30年進むと、ざっくりとした数字で示すと、2011年に誕生した女の子は30%の子が結婚できないということです。今この拙文を読んでくださっているパパ、ママ、最悪の状況を考えると、三人に一人の方は孫が抱っこできないのです。あのね、それって放射能より怖い数字ですよ。とにかく男の子には生き抜く力を身につけさせること。男としての魅力を磨くこと。ある意味勉強よりも大事だと私が鼓舞したところ、女性の先生が一言、「それにはバックグラウンドを作らなくちゃ」。やっぱり女性は地に足がついているなあ。男子は社会に揉まれて、男性性を高めること、それが男の魅力を獲得する修行だと私は言いたいところですが、女性はそんな観念的なことでなく、「学歴、仕事、収入、男は稼いでなんぼじゃ」という物差しが重要なようです。私はどうしてもその前に「人間」の中身を考えがちなのですが。どちらも大事、だから男子よ、がんばれ。女の目は厳しいぞ!と言っておきます。
理事長通信111109 山岸顕司
私が私立の学園で幼稚園と小学校の教師をしていた時、入試担当者の一員として初めて迎えた入試の時から感じていたことがあります。幼稚園受験者の倍率が2倍未満の時と2倍以上の時とでは入試時の教師たちの雰囲気が違うのです。合格者に対し志願者が2倍未満の時は、教師たちは「どんないい子が来るかな」といった話題の中で試験場に入っていきます。一方倍率が2倍を超すようなときは「今年はこの点とこの点をクリアしていなかったら落とそう」といった観点での話題が占めていました。つまり、受験者数が少ないときは、子どもの良い点を探そうという視点であるのに対し、受験者数が多いときは、子どもや家庭の短所や欠点に着目し、問題があれば排除しようという視点になるのです。人は数が少ないと一人ひとりが大切に扱われ、多すぎると粗末に扱われる、というのはある場面での事実です。でも、この世には数の多寡にかかわらず、大切に大事に思われて育った子と、心の温かさをもらえずに育った子がいます。子宝に恵まれるという言葉がある通り、子どもは親にとってかけがえのない存在なのですが、一部の親は、わが子に対して愛情の感じ方が薄いということがあります。なかにはほとんど子どもを愛せないという事態が起きます。親が精神的に未熟であるとか、確たる理由がなくても、不可避的に不幸な事態が出現します。だれにとっても親に愛情を注がれて育つのは当たり前で必要なことなのに、実際には子どもにとって親に恵まれることほど幸せなことはないというほどの状況なのです。周囲から大事に思われて、大切に愛情を注がれて育つことができなかった子は、大人になってから他人に上手に愛情を示すことが難しいことが多いようです。愛されて育った子は人との人間関係を良好に保つ傾向が強いように感じます。端的に、人からの好意を善意に受け取れる傾向が強い点に表れています。せっかくの好意を善意に受け取れず、疑ってかかる人の多くはなにかしら、どこかしら愛情を信じていない人のように私は感じています。私はそういった人が実は嫌いなのですが、人が人を評価することぐらいおこがましいこともないと、同時に自分を戒めています。
男子に比べて女子は、容貌に対する評価が全体の占有率で高い数字を示す傾向が強いです。お顔の造作は美人に一歩譲ったとしてもあの子は魅力的だ、といった女性に共通するのは笑顔が良いことです。表情が良いといった表現力も含まれます。私も個人的な経験として笑顔の良い子で不細工な女性を見たことがありません。とは言っても女性からすれば、愛嬌を強要されていると感じれば笑顔を作ることは心外なことでしょう。人に媚びるようで嫌だ、まして男社会の中で仕事をしていく上で、能力で認められるのでなく男に媚びて認められようだなんてまっぴらだ、そんなキャリア重視の肩をいからせた女性の本音を聞くこともあります。肩ひじ張って突っ張ってがんばる女の子も可愛らしい、とは私の年齢だから思えることで、同世代の男にとってはそんな女性は相当に煙ったいものでしょう。そして、小さいころから可愛がられ愛情を注がれて育った子は(特に女性は)わだかまりなく、人から受ける愛情を信じて、苦境に陥った時にかけられる励ましの言葉にも素直に反応できるものです。一方で、愛情を信じられない心を抱いて育った子は、大人になっても苦境で差しのべられた手を拒絶してしまうことが多いものです。可愛がられて育った子は一生まわりから可愛がられ、小さいころから愛情に恵まれなかった子は、その後の人生においてもあまり可愛がられることがない、というのは不幸な法則です。勝手に私が作った法則ですが。差しのべられた手は握り返すものです。
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