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理事長通信

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子どもの頃は、家の中の闇が怖かったものでした。2017年6月14日

 子どもの頃は、家の中の闇が怖かったものでした。深い意味ではありません。ただ単に、寝る前に、暗がりの廊下を伝わってトイレに行くのが怖かったとか、そういう意味です。
 あれはなんで怖かったのでしょうね? 
 昔話の多くは、物の怪や生霊や、科学では説明のつかないものへの畏れが込められています。童話も同じです。信仰に近いのでしょうか、神なるもの、あるいは絶対的なものを信じて奉ると同様に、身近にある畏れを切り離して、日々平和に暮らそうという感覚が皆の中にあったということでしょうか?
 私が思うに、子どもの感覚は絶対的に敏感ですから、大人には見えない音や聞こえない音が、その目や耳に届くことがあるのだと思います。具体的に明確に目に映ったり、鼓膜に響いたりするわけではなくても、そこにある「何か」を感じるのではないかな、と思います。
 つまり、やはり何かあるのでしょう。そこには。ごく日常の中に。

 私が日常意識していることがあります。
 私の年齢になるともう、この世の真実のいくつかには到達して達観していますので、「抗ってもしょうがないことには、巻き込まれることも辞さず」の精神で日々過ごしています。
 難解な事柄に出遭ってもそこから逃げず、「波が来たぞ、被るぞ。そこから学ぼう。知ってしまえ」という心境です。
 若いころの見地を広めるための体験ではなく、この世の味わいを口に含んでみる思いで、それこそ道端の石ころの味まで試してみようかという心持ちです。もしかしたら、路傍の石のように目に映っていたものは、実は神棚に奉るのが相応しかったほどのものであるかもしれませんし。足元の石ころが神の魂が宿った石であるかもしれません。見方が変われば価値観も変化します。
 やみくもに未知の事に挑んだ若いころなら、好奇心旺盛か無鉄砲という表現になるでしょうが、私の年齢になると、先々ではありますが冥途の土産話のレパートリーでも増やしておくか、そんな達観した心境になっております。
 それは私が進化したのか老化したのか不明ですが、結局「人の世はなるようにしかならないし、なるようにはなる」ことがわかったからでしょうね。
成すべき人生を歩み続け、人生を肯定的に受け止める最良の境地が「達観すること」ではないでしょうかね。

 諦める、とは欲を手放すことに通じるでしょう。それは消極的なことではなく、自らの意思で意欲を燃やし、挑戦し、努力を重ねた自分を認めてあげることではないでしょうか? 自分を受け入れて、自らの魂に休息をあげることのように思います。
 結果に依らず。結果が成功でも、大した成果でなかったとしても。
 かりに目標に到達しなかったとしても、それを失敗と一言で片づけるのではなく、努力の過程に学びがあったことを喜べる人は、それだけで人生の達人に近づける人です。
 ところで私は思いますが、夜寝る前には、仕事上の困難な事や重大なことやその他なにやかや複雑なことは、すっかり取り除いて床に就くべきですね。
 そうしないと、うなされますから。悪い夢、悲しい夢、寂しい夢は眠りを浅くする上に、心の健康に悪い影響を与えそうです。それこそ、胸中深くに隠しておいたはずの深層心理を掘り起こされることさえありそうですから。
 人生は忘れていいことで溢れています。嫌な出来事や失敗や悪いことは、完全に捨て去ることが出来なければ、埋めてしまえばいいのです。埋めたら掘ってはいけません。そんなものが出てきたら、豊洲のベンゼンどころじゃありませんよ。

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