前回よりつづき2 私がなぜ、子育てをし、受験に立ち向かうお母さまの味方なのか、それには理由があります。2017年3月8日
前回よりつづき2
私がなぜ、子育てをし、受験に立ち向かうお母さまの味方なのか、それには理由があります。
その理由は時として、お父さまからご批判を受けることがあります。
いえ、その理由がどうであるかは、お父さまはよくご理解のはずです。問題なのは、私がお父さまの味方につかないのでは? とご不信であるからだと思います。
私はお父さまを批判する者ではありません。お母さまを理解していただきたいと、啓蒙活動をするものです。
わが子の受験は基本的に、母親が牽引する性質があります。父親は脇役である場合が多いです。ですからまず母親の情緒を安定させることが、もっとも重要なサポートとなります。もう、脇役の役目ではないですね。渋みのある主役にしかその役は負えません。
だから私が理事長の立場として、まずお父さまにその自覚に目覚めていただきたい、そのようにお伝えをしている。というわけです。
「いや、そんなことはわかっています。ですが、私の気持ちも汲んでほしいです。」
そんなお父さまの心のお声は届いていますよ。わかっています。
男は無条件に、愛する子や妻や家族のために、多大な精神的自己犠牲を払って仕事をしています。社会の中で自らを押し殺し、無理や理不尽にも耐え。本来の自分を抑え込み。
そういう男としての真の意味での強さ、優しさがあるからこそ、家族にあたりまえの幸せが訪れるのですね。わかります。男同士、わかり合えることではないですか!
でもそれって、女性は毎日、逃げられない日常の些末なことのことごとくを受けとめ、ことごくごくあったりまえに遂行していることなのです。
もう人生の真実って、身もふたもないことばかりですからね。男にとっては、生きるための神話が必要なことでさえ、女性にとっては当然の義務で背負っていることですからね。
ここに気づいて妻に感謝ができるだけでも、相当男としては練れていると思いますよ。私は褒めてあげます。認めます、あなたの男としての強さを。(女性は、あったりまえでしょと鼻で笑うかもしれませんが)
男として生きるとは、出来上がった社会機構の中でなら、会社や組織という社会に属し、この世の理不尽を黙って飲み込み、己の考えを曲げて大局に沿い、自分の時間のほぼすべてを意のままにならないうちに費やし、そうして禄を食むということでしょう。
それらの束縛を嫌うなら、山里に入り自給自足の暮らしを送る、ということもできます。しかし先々のわが子に、自らの人生を選択させることを念頭に置くなら、まず教育を高度に受けさせることが先決となります。ですから後者は現実味が薄いですね。
私は急に、小学生ぐらいまでのころは、古い映画の中でターザンとジェーンが密林の宇宙で展開する世界に、結構本気で憧憬を抱いていたことを思い出しました。
この世のわずかな幸せを噛みしめて感謝できること、そして日々の小さな幸せに通り過ぎず気づくこと、そして心に炎を燃え立たせて発電することですね。男は自分自身が発電所にならなければいけないんですよ、きっと。
私など先日、娘がバレンタインデーにハート形のケーキを作ってくれたことだけでも、この1年生きてきた甲斐があったと、幸せを噛みしめてみましたからね、心底。つづく