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理事長通信

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前回よりつづき 冷戦時代は特に国威発揚の手段として東西の国々が、オリンピックでのメダルの獲得争いを繰り広げていたように思います。2022年3月2日

前回よりつづき
 冷戦時代は特に国威発揚の手段として東西の国々が、オリンピックでのメダルの獲得争いを繰り広げていたように思います。その競争の中で、技術の向上はもちろん、メンタルトレーニングも発達しました。発達の影の部分にあるのは、言わずもがなのがドーピングの問題です。薬の効用により身体機能の一部を発達させる、または鎮静化させることにより、スポーツにおける競争力を増すけれども、その代償として体に多くの負担をかけ、時として選手の命を削る危険もあります。そのため薬物の使用を禁止する、というのが基本的な考えだと思います。
 私は今回ドーピング問題で大騒動を起こしたロシア代表(ROC)は、そもそも国家を挙げてドーピングが横行するロシアを、国として国際競技には参加させない、という決定のもとに組織結成されたクリーン集団が(ROC)ですから、その中からドーピング選手が複数出たことはもう、もはや何をかいわんやという状況ですね。つまりロシアは政治的に、(あるいは国民性として)、スポーツにおいても勝つことを至上主義にしているので、身体機能を高める薬の効用を積極的に活用することを容認しているのでは? と疑念を持たれてもしかたがないような全体の対応ぶりです。

 ところがですね、人の価値観というものは実に様々で、それは民族や国民やもっと小さな単位でいうならば住む地域の集落や家族によっても、実に多様な価値観が存在するわけです。
 キリスト教の普及により一夫一婦制が先進国の主流になったかのような時代があり、その他の国も、主として国際社会における体面をおもんばかって一夫一婦制を施行した国は多くありました。日本においてもそれは明治になってからのことです。現在でも宗教上、あるいは慣習により一夫多妻制の国はあります。それはその国や土地の風土や文化や慣習を抜きに考えられないことであり、生理的感情で論ずることなどできないことです。
 要するに世界共通の統一基準となる価値を測る物差しは存在しないし、すべての人はその人の価値観で生きている、ということです。

 最近の社会トレンドに「多様性を容認する」みたいなことが言われますが、そんなことは知性ある人は(様子の分かった子どもでさえ)昔からみな、アンタッチャブルとして忌避してきたことです。忌避とは大人の知恵であり、議論も避け、互いの価値観を攻撃することを控える、ということです。決して目を背けるわけではないです。
 人にはそれぞれの価値観がある。お互いの価値観を認め合うことは当然のこと。それは他人の価値観に同意しなければいけない、ということではない。あくまで理解しかねる他人の価値観を自分の価値観で批判しない。余計な争いは避ける。ということと私は理解しています。
 それぞれの人がそれぞれの流儀で生きている。それは当たり前のことで、何をいまさら影の部分を白日の下にさらけ出して、それをみなで理解して合って共通の価値観としよう、なんてことになるのか、私にはさっぱりわかりません。「陰口叩くやつにロクなやつぁいねえ」なんてぇのは横町の八っつぁんにもわかることです。
 人は人。刑法に触れない限りは(その法律だって国や州によってすら変わるわけですから)放っておくことですね。そもそも他人の疝気を頭痛に病むなんて、本当にバカげたことです。

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