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理事長通信

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閉塞する時代において、人は全人格的な言動を周囲から常に求められるようになってきました。2020年12月9日

 閉塞する時代において、人は全人格的な言動を周囲から常に求められるようになってきました。ただでさえ人の世は、ともするとぎすぎすとし、世知辛く住みにくいというのに、過剰に人さまに干渉することが、人生を生きやすく、人を幸せにすることでしょうか?
 先日、オリンピックの水泳選手がなにやら騒がれていました。その騒ぎは、殺人に準ずるほどの大罪を彼が犯したかのように大きく報道されるので、関心のない私の耳目まで引くことになりました。こっちは小学校受験の本番でそれどころじゃありませんでしたけれど。
 どうやら騒ぎとは夫婦間のことのようですから、なにか問題があるならば、妻が夫に喝を入れるべきことですね。他人が騒ぎ立てることではないです。そもそも関心のない人の人生には起きない事態なので、そもそもが完全スルーな話のはず(だってあなた、力学における平均内の運動で瞬間の速度を計算する物理公式、なんて、なんの関心もないでしょ?)。

 件のことは、人の心にたゆたう煩悩の話、あるいは哲学の話ですから、本来は個人の価値観と責任に帰することです。本人に社会的自覚が欠如していると思うならば、周りにいる近くの人が意見すべきことです。もしも他人の不道徳に進言をするならば、たしなめるものであって、なにも赤の他人が糾弾するようなことではないですし、まして処罰するようなものでもありません。

 ところがマスメディアは、他人の家庭をつつき回して、世間を炎上に導くバズーカ砲を装備しているようですね。
 テレビも雑誌も含めマスメディアとは、政治家に公義を求めたり、権力の濫用や不正や犯罪を見張ったりするための公器だと私は思うのですが。たとえば政権に不正の疑惑があるならば、持てる調査網を駆使して証拠を探し出して白日の下にさらし、糺すとかね。ですから、そんな市井の人々のプライベートをのぞき見するヒマがあるなら、本来やるべきことをやったほうがいいのではないでしょうか?
 一個人の行為が社会の公序良俗を乱すから、仕事を失い社会的立場を奪うまでバッシングする、という報道の苛烈さは、私は逆に脅威を覚えます(以前、ギャンブルが問題になった選手もいましたね)。もちろん公序良俗に沿うことは大事なことです。
 いや、問題はそこではなく、地位、名誉、人気、経済力など、自分が満たされない欲望を他人がかなえていることから発する怨嗟かもしれません。うらやましい、では批判の対象になりませんから、攻撃しやすい事案が発覚したら、ここぞとばかりに悪事としてあげつらって引きずり下ろす、その恐ろしさですね。
 感覚としてはTVゲームと同じではないでしょうか? 市井のゲーマーが正義の名を借りたチャレンジャーに変身してセレブな登場人物を倒す、という。

 私はオリンピック選手の役目はオリンピックでメダルを獲ることだと思っています。やることをやって結果を出せば、十分に国民に付託された期待に応えるではないか、と私は思います。
 社会的な立場で自らの責任を果たしていない事への批判は甘んじて受け入れるべきとは思いますが、それはあくまでも本人の問題です。本人が覚醒し、自覚することが大事なのであって、少なくとも他人が我が事のように関心を持つようなことではないです。彼の行為を擁護するわけではなく、私は他人の私生活に並々ならぬ関心を持つという心の持ちようの方が嫌な感じがします(再度確認ですが、公序良俗に沿うことは大事です)。つづく

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信頼の指導47年 慶応幼稚舎・早実・慶応横浜初等部・小学校受験・中学受験・中等部受験に勝つ!

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