人間関係の対立で、その根幹となるのは「価値観の相違」でしょう。2020年9月9日
人間関係の対立で、その根幹となるのは「価値観の相違」でしょう。価値観は善悪、と置き換えても意味が通ると思います。私にとっての善は他人にとっての悪、他人にとっての善は私にとっての悪、という図式ですね。これはもう歩み寄りが難しい話になりますね。
広く社会に例を求めなくても、家族間にも対立はあります。感情面での対立とは、多くは私のスタンダードと相手のスタンダードが違う所から生じます。
これはもうね、許せるか許せないかにかかっています。大体、夫婦という集合体だって元は他人の男と女なのですから、一緒に暮らせるなんて、それだけで奇跡ですよ。
慶応会における私の仕事は、もちろん慶応会でお預かりした会員さんに、学業の面で達成を得ていただくこと。つまり受験での合格や、学校内での成績を上位に保つことです。
しかし実務面での私の仕事の半分は、実は「会員お母さまの情緒を安定させる」ことなのです。私ごときにそんな大それた社会命題のような大きなテーマがどうして解決できるのか、というと、私の仕事が一言で言うならば「人助け」だからです。私、そういう人助けはできるんです。
わが子の進学というのは親にとって最も大きな人生のテーマのひとつです。しかし、それって家庭が安定した上での話です。とてつもなく夫婦仲が悪い環境で、わが子の情緒が安定することって難しいです。いっそお父さんとお母さんが離れて暮らした方が子どもはラク、なんていう状況は少なくありません。
夫婦の仲を取り持つのは、「愛」以上にゆるしではないかなぁ、と銀婚式を越した私には思えます。ゆるすという判断は宗教的な意味合いで言う「赦す」ではなく、ゆるしちゃう、またはゆるせちゃうという意味の「許す」に近いでしょうね。
そうするとそこにはある種のおかしみが存在するかもしれません。まぁしょうがないか、という感情です。笑えるって大事なことです。憎しみながら笑うってできないし、そんな情景って相当に怖いです。もう暗殺一歩手前ですね。そうじゃなくて、相手の存在を許すって、包み込むことに近いかもしれません。もしくは諦める。定年を迎える頃には諦念するって、言葉遊びですね。
逆の立場で考えるなら、連れ合いに許していただくためには、そこはかとなくおかしみをたたえる必要がありますね。愛嬌でしょうか? 男は度胸、女は愛嬌と言われた時代は確かにありました。男は度胸とばかりに覚悟を背負った男が現代にどれほど生息しているか? 絶滅危惧種に指定されそうな状況ではないですか? 愛嬌のある女性にコロッと騙される男は後を絶ちませんので、こちらは健全に健在です。問題は男です。相方であり相棒であり、伴侶でありベターハーフである妻に許してもらうには、これはもう男とて愛嬌を磨く以外に生き残る道はないかもしれませんよ。難儀な時代ですね。でもね、全般的に表現もマインドもソフト化する現代の男たちにはそれほど難しくはないのかもしれません。問題はそう、熟年世代ですね。男として如何に生きるか、なんて理想命題ではなく、現実的に、如何に生かしていただくか、ぐらいに自分の足元を確かめてみた方がいいのかもしれません。
今年も、多くの会員お母さまから、相当なご相談をお受けしておりますよ。会員お父さま、あなたは絶対にわが家に離婚などあり得ないと確信できますか? いや、確信がある人の方が危ないってご存知でしたか? 妻の胸の奥に燃え盛る、怒りと絶望の炎の勢いを、想像してみたことはありますか?
「夫が父親として役に立ちません」「父親の自覚が全然足りません」「妻の努力を理解していません」「いたわりの言葉もありません」などなど・・・。
我と我が身を省みて、自らの至らなさを想像したことがありますか、お父さま! それを常日頃私はお聞きしております(ですから私など、わが身に置き換えて想像して、家では贖罪の日々です)。
今現在、会員さんお母さまたちの満たされぬ念は、私がお話をお聞きすることで必然的に私が被っております。私がいつも腕につけて身を守る、ネイティブアメリカンのナバホ族が厄除けのお守りとするターコイズのバングルは、特大の物にこの夏新調しました。しかもターコイズはランダーブルーです。まぁコストでまかなえるならば大した問題ではないですね。
問題はお父さまの日々の努力ですよ。拙著3作目「頼りにならない夫がガラリと変わる本」は、世のお父さんのために書いた本ですからね。アマゾンでポチって熟読すれば、明日から夫権が回復できるかもしれませんよ。夫が妻に許していただくために積み重ねる日々の努力、それこそがプライスレスです。