中学生の娘を持つ私が中高生の頃の自分を振り返ると(二度と戻りたくはありませんが)、如何に男として生きるか、という途方もないテーマと常に直面してもがいていたことを思い出します。2020年9月2日
中学生の娘を持つ私が中高生の頃の自分を振り返ると(二度と戻りたくはありませんが)、如何に男として生きるか、という途方もないテーマと常に直面してもがいていたことを思い出します。名画座の新宿昭和館で、任侠物の映画に陶酔した頃は、高倉健的生き方に自分を無理やり染めようと格闘し(まさか後年、二人きりでパリで食事をする日が来ようとは‥)いやいや、それ以前はずっと007のショーン・コネリーに心酔していたのですが、そろそろ将来を真剣に見据えてという頃は、原宿セントラルアパートにあった繰上和美(当代一のクリエイティブフォトグラファー)の事務所を訪ねたりと、手探りでごろごろ転がっておりました。ローリング・ストーンズ(gathers no moss)のつもりですね。
その頃、私が現実的な「男の鏡」と奉る存在が身近に二人おりました。二人とも幼馴染の父親で、一人は後に日本を代表する損害保険会社の社長に上り詰めた人で、もう一人は町の材木屋の親方です。
前者は言うまでもなく、サラリーマンや官僚など、組織社会でトップを取った人です。娘一人の父親でしたので、小学生の頃より親しかった私はとてもかわいがってもらいました。何か説教を垂れるわけでもなく、いつも「わははは」と笑って私の話を聞いてくれる大きな存在でした。大らかないい顔をした大人でした。組織の中で生き抜くことが大変なことなどとは露知らぬ私でした。
そこへ行くともう一人の男の鏡、材木屋の親方は、日本の零細企業を代表する存在です。友人の親父は、笑顔とテノールの笑い声しか思い浮かばない、いい顔の大人でした。私は個人的に、世界で一番責任を背負っていて、エライ!と肩入れをするのは、町工場のオヤジです。小さな資本で綱渡りのやり繰りをし、受注先の注文に応え、無理な要求にも屈せず技術開発をし、好況・不況の波にもまれ、従業員を抱え、従業員の家族を守り、赤字の時は身を削り、大抵の場合自宅まで借入金の抵当に取られていて、仕事がひっくり返ろうものなら即刻住む家までなくなり、それこそ裸一貫すってんてんになる覚悟で毎日仕事場に向かうオヤジ。そんな社長が本当にエライ!と心底思います。
大体覚悟を決めた男の顔には、それなりの雰囲気が漂うものです。おまけに仕事を引退する時は体が動かなくなった時、もしくは命が尽きた時。それまでは気が休まる間もない零細企業のオヤジ。本当に尊く偉大だと思います。
さて、7年と数か月、結構大きな組織でトップとして辣腕をふるっていた? 多忙な人が辞意を表明したという話を聞き、私は腰を抜かして驚きました。「エッ!辞められるんだ(辞めてもいいんだ、の意)」。
たかが私など比べようもありませんが、私の場合はどうなるのでしょうね。「健康上の理由で、もう願書が書けないので辞めます」などと言おうものなら、どうなるのでしょう。そうです、いつも言われているではないですか。会員さんのママたちに。「理事長先生、この時期、大変かと思いますが、どうぞご自愛くださいね。うちの願書が終わるまでは」
(私:とほほ・・)
政治家の評価は歴史が下すものです。人気抜群であった小泉元総理の評価もまだ定まっていません。しかし私はワンマン宰相、吉田茂の国葬を見て育っております。池田、佐藤両総理の仕事も知っています。その後の政治家はどうなのか? 私にそれを判断する力など持ち合せません。しかし人の「顔」を観察する眼は持っています。その後の政治家の顔はどうなんでしょう?
一旦作り上げられた組織には明に暗にルールや不文律があります。しがらみというやつですね。多くの場合利権、すなわち金と結びついています。一度獲得した利権を剥がすのは、正義をもっても並大抵のことではありません。
志だけで政治を動かせるのは、体制の土台を揺るがす世論が形成できた時だけです。幕末から明治維新にかけての激動の物語が人の心を揺さぶるのは、志に生き、志に殉じる男たちが実際に行動することができたからですね。
日本という国と国民は、世論を形成するのが難しいわけではないです。ただし、多勢を前にして個人が声を上げるのは難しいという国民性があります。そして他人の考えが自分と違う時、自分だけの価値観や正義感で他人を攻撃するのはファシズムと同じ思考です。私は、日本人が豊かに持つ『情』を大切にしつつ『理』で判断し行動できることが望ましいと考えています。それは多様性を認めた中で民主主義が運営できる社会です。
私は自分の考えがいつも正しいなどとはまったく思っていませんが、その時その時に信じたことを個人の考えとして発信することも私の役目のひとつだと思っています。まあそのうち、「顕翁百話」とか銘打って、ガリ版印刷の少量で発表しますか。案外、「善行を為して悪行を赦す」という新宗派の経典になったりして。