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理事長通信

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昨年秋、旧車好きの知人に招待されて箱根に足を延ばしました。2020年1月15日

 昨年秋、旧車好きの知人に招待されて箱根に足を延ばしました。私がまだ学生の頃から松田コレクションとして有名だった、ポルシェやフェラーリの歴代の名車を飾った博物館の跡地も訪ねました。
 敷地内の丘陵には短い走行コースがあり、かつてル・マン24時間レースを駆け抜けたレーシングカーが、穏やかに余生を送りつつ、時々くしゃみをする程度にエンジンをかけて走るにはぴったり、というそのコースも往時のままそこにありました。
 ただあの頃、ため息をつきながら眺め、訪れた客が発する二酸化炭素で窓ガラスを曇らせた名車たちは全部、姿を消していました。兵どもが夢のあと、を思わせる景色でしたね。

 先日、小学校のクラス会がありました。なかには50年近く会っていなかった顔もありますので、席で向かい合ってもお互いわからず、「どちら様でしたか?」という旧友もいましたよ。
 みなさまは12歳の時の同級生に、その後お会いになりましたか? 久しぶりの再会が30歳を過ぎた頃なら、少し人生を見通せる状況かもしれません。12歳だったあの頃、「大人なやつだったな。一目置くような人物だった」という人は、やはりひとかどの人物になっているものです。当時から「ちょっと困ったところがあったよな、おっちょこちょいで」といった人は、それはそれでその人なりの大人になっているものです。中学進学以降、本人の頑張りで逆転し、素晴らしい学歴を手に入れた人もいますが、「人」というものは、12歳までに決定し、その後はまったくと言っていいほど変化がないように思います。

 それを考えると、さまざまな素養を持った子どもたちが集まる集団が小学校ですから、何かしら優れた素養を学校から判断され、入学を認められた集団は非凡な存在であるでしょう。
 つまり、6歳から12歳までをどういう学校の環境で過ごすかは非常に重要だと思います。試験を経て入学してきたクラスメートは、「自分が努力を重ねてきて、その結果入試に合格して今、この席にいるんだ。隣の子も後ろに座る子もみな同じだ」と、自分を認められると同様に、他者の努力や価値や存在を認めることができます。その環境が私立、国立小学校です。
 小学校の時代こそ、さまざまな家庭の子が集まる公立がいい、という意見があります。私の意見は反対です。そんなものは大学生になってから見ればじゅうぶん。社会の欺瞞とか不条理とかを幼い脳に揉み込む必要などありません。それより、毎日を過ごす学校という環境で、友人からの良い影響を期待した方が遥かに健全だと私は考えています。

 私自身は国立出身の父の「わが子は雑草教育で育てる」との命により、雑草として育ちました。ですから父の選んだ教育環境の下、私自身が元来雑草であることはもちろんですが、私を教えた教師の中には、生徒を教える際に何をもって善とし悪とするか、その価値判断がぺんぺん草のようなレベルであった教師もいたかと思います。
 なにしろ私、小学4年時に、生徒による初の選挙でクラス委員に選ばれたものの、担任教師の判断によって1週間でクラス委員をクビになりましたので。
 そもそも私なんぞを「生徒としての理想的規範」が求められる立場に推したクラスメートに大きな見込み違いがあったことは確かですね。しかし、大人として生徒に範を垂れるべき先生が、民主主義の手続きがとれないのは困ったものです。そのいきさつは次作の拙著で公開いたします(結構笑えますよ)。

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