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理事長通信

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昨年秋、箱根に立ち寄った際、あることを思い出しました。2019年7月24日

 昨年秋、箱根に立ち寄った際、あることを思い出しました。帰路につくにはまだ時間もあり、以前、幼児英才教室の夏合宿で利用していた宿の隣にあったのは知っていましたが、あえて訪れる機会もなかった美術館に足を止めてみました。その名も「星の王子さまミュージアム」です。ちょっと私が出かけるには気恥ずかしいイメージですね。それが今まで行かなかった主たる原因のひとつですが。
 ところがですね、私、はまってしまいました。サン・テグジュペリの生家や街並みをイメージして作られた園庭は絶好のインスタ映えスポットですし、館内の撮影禁止エリアには、ヒットラーのフランス侵攻から亡命し、ニューヨークで「星の王子さま」を執筆したアトリエのジオラマがあり、また北アフリカやパリの夜の街並みが再現され、ベンチに腰かけて景色を仰ぎ見るだけで異邦人になれるような空間がそこにありました。
 元々、母の寝室にあった書棚には三島由紀夫のハードカバーが並び、ポーセリンの絵付け写真集や美術書に交じって「星の王子さま」は常にあったので、ミュージアムの空間すべてが私に郷愁を呼びさますものでした。
 サン・テグジュペリが飛行機乗りであることは周知の事実ですが、この機に「夜間飛行」や「南方郵便機」を読むと、彼は20世紀初めに商用郵便機の路線をアフリカや南米で開拓した飛行士でもあったのですね。
 ビジネスで飛行機に乗る機会がない私にとって、飛行機は「家族の夢を乗せて運ぶ乗り物」です。なぜなら休みの時期に家族旅行で乗るもの、が飛行機にもつ私のイメージだからです。ですから空に飛行機が雲の帯を伸ばしている光景を見ると心が温まります。
 サン・テグジュペリは生涯に少なくとも5度、飛行中に墜落を経験しています。当時の小型飛行機がどれほどの性能であったか、南米の山脈を、気流にもまれながら夜間に飛ぶ郵便飛行機のパイロットが当時100人を超えて命を落としていたことを考えると、偉大な挑戦者と安易に呼ぶのもはばかられるほどです。彼は何度も死にかけ、死の淵から怪我の後遺症を引き連れて生還しています。
 星の王子さまは文中、砂漠に不時着したパイロットと出会い、それが物語の中核となりますが、まさにそのパイロットが彼自身です。
再度フランス空軍に従事し、偵察機を操縦したサン・テグジュペリですが、当時飛行士の年齢制限であった30歳をはるかに超え、42歳でまた軍役につき飛行機を飛ばしました。
 幾多の恋愛をし、愛する人に囲まれ(妻との相克は続き)、作家として名誉も確立した彼ですが、どうも彼は自ら死に突き進んでいたように思えます。貴族の末裔でもある彼は、ノブレスオブリージュの本質をわきまえていたでしょうから、祖国フランスがドイツから解放されるために一命を賭すことなど当然、の覚悟があったと思います。若き日に一緒にアフリカや南米を飛んだ同僚たちのほとんどがすでに空で命を散らしていたことも、これ以上生き永らえる積極的な理由を失っていたのかもしれません。
 それでも空を飛んでいたかった。私はその理由に苦慮し、車を運転する私の隣にいる娘に尋ねてみました。
 「どうして、サン・テグジュペリは、そうまでして飛びたかったんだろう?」
 娘の直観した言葉は「空が好きだったから…?」でした。
 なるほど、明快ですね。サン・テグジュペリはそれほど空で散ることを望んでいたのかも、ですね。少なくとも、P-38偵察機に乗った彼がマルセイユ上空で姿を消してから75年経った今も、彼は私の脳裏でフラップを操作しながら雲と戯れていますから。

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