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理事長通信

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母の胸で泣く息子、という情景に接するたびに、私は少し胸が騒ぎます。2019年4月10日

 母の胸で泣く息子、という情景に接するたびに、私は少し胸が騒ぎます。父の胸で泣く娘、はあまり目撃しませんねぇ。やはり、自分の弱さや寂しさやさまざまなlonelyな感情を受けとめてくれるのは母、と役割が決まっているのでしょうか?
 会長先生がまだ前理事長であった頃、齢70の頃ですが、さまざまな心労があったある晩、心臓の苦しさを訴えて、夜中に救急搬送されたことがありました。前理事長の主たるストレスは仕事上のことですから、補佐役であった私が十分に責務を果たしていなかったことは明らかです。
 慶応会創業と同時に、私が10歳から18歳まで毎日、授業後の慶応会の教室すべてを回り、掃除とカギ閉めをしていたのは、単に家の手伝いをするという役割を担っていたからです。自負心はありましたが。でもまさか後年、私が慶応会の仕事を引き継ぐことになるなど思いもしませんでした。その後、29歳で改めて慶応会に入社した唯一の動機は、自分の命を、父の手足となって働くことで生かしたいと願ったからです。口幅ったい言い方になりますが、親孝行がしたかった、ただそれだけです。その親孝行がロクにできちゃいないっていうんだから、自分の存在など無に等しいと悲嘆しました。
 少し休養が足りた前理事長はほどなく退院して仕事にも復帰しましたが、ミーティングルームで父と向き合った私には、突き上げる感情がありました。 「父さんが死んだら僕の責任だ」と私は滂沱の涙にくれました。父は、そんなことはないさ。きみはじゅうぶんにやっているよ、と言葉をかけて私を包んでくれたのですが、私の涙が堰を止めることはありませんでした。
 私が「教育」だなんて大上段に構えたような題目を持つ仕事に、何の適性ももたなかったにも関わらず、今は曲がりなりにも慶応会理事長の職を務めていられるのは、間違いなく父の存在と励ましのおかげです。

 私が我が母を思い出すとき、思い浮かぶイメージは「厳母」です。感謝をするとともに、さまざまな思いが胸をよぎります。正直、母の胸ではとても泣けませんでした。頼りになったのは父でした。もっとも、父も母も私が困難に出遭った時の対応は同じでした。それは、まったく助けがなかったことです。
 Heaven helps those who help themselves. この言葉は私が中学生の頃、学校帰りの遅い午後、ガラ空きの電車に四ツ谷駅から乗り込んでくる、いたずらな2人組の女の子からもらった手紙の一文です。この年になって、まったくすべてはその通りだと思います。そういえばあの女の子はカソリックの教えを受けていたはずです。「天は自ら助る者を助く」自助努力せよ!

 以前の私は今よりももっと自我が強かったせいで、学校の先輩になつくこともなく、もちろん先生になどなつくはずもなく、友人は多くいた方だと思いますし、友人とあそびに出かける機会も多かったと思いますが、基本的には個人行動が主の一匹狼でした。事に当たるに徒党を組むということは一切ありませんでした。そして相当に生意気ですので、攻撃的な部外者からはだいぶ狙われました。
 結構な目にも遭ってきていると思いますよ。先輩もいなければ先生もいない。師匠もいなければ頼る人もいない。そういう環境を望んだのは私です。でも、まさにだれも答えを教えてくれなかったおかげで、だれよりも多くの失敗を経験できたように思います。この事実が現在の私をもっとも助けてくれていると思います。
 人は失敗からしか学べませんよ。

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信頼の指導47年 慶応幼稚舎・早実・慶応横浜初等部・小学校受験・中学受験・中等部受験に勝つ!

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