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理事長通信

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すべては才能で決まる。持てる才能を努力で開花させることができれば、人の役に立つことができる。2018年11月7日

 すべては才能で決まる。持てる才能を努力で開花させることができれば、人の役に立つことができる。それは自分の成功につながる。その前に自分の才能を発見して信じることができるか、それが最大の問題だ、と最近私は考えています。

 著名なカソリックのシスターが「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を遺しました。(父上を2.26事件で失い、その後洗礼を受けて修道院に入った女性です)私はいつも、その言葉の深遠さを感じて生きています。
 私は教えのある学校で学生時代を過ごしましたが、未だに確たる宗教観を持つわけではありません。しかし、命を創造した大きな存在がこの世を包んでいることには何の疑念もありません。
 少なくとも私は、何かの使命を果たすためにこの世に生きている、つまり生かされていると、いつも感じています。
 そしてその使命を自覚できたことに深く感謝しています。私など、自らの成り立ちに自信があるわけでなく、本人は良かれと思っていた行動が結果的にさまざまな悪行を成してしまったその果てにたどり着いた破戒僧のように感じています。神前と仏門が一緒くたになっていますが、それも私の宗教観の根幹です。

 人に認められたい、という欲求はだれしも持っています。それが何によって満たされるのかによって人の存在が変化します。たとえば、お金を多く持つことによって人に認められることを求める人がいます。お金ではなく物を持つことで人に認められたい人もいます。家でという人もいます。車でという人も時計や宝石でという人もいます。大きく括れば物欲ですね。
 学歴や昇進で人に認められたいという人は多いです。これは自分の努力の結果ですから、健全な向上心の結果とも言えます。しかし、物欲を満たすことも努力して経済力を増した結果ですから、どちらの魂のレベルが高いとか低いといった話でもないようにも思います。
 一方で、人に奉仕の行いをして自らの心に善意を示すことで満たされる人がいます。その人は他者によって認められたいという欲求が低い人かもしれません。善意の人は自分に示すことで目的を果たしますから。

 人は自らが何かの役に立てていることで、深く心が満ち足りることを覚えるのではないですか?
 人は自分の利益を求めているだけでは、心が満ちることはないように思います。なぜなら欲には限りがないからです。小欲が実現できれば大欲を求めるでしょう。大欲を実現しても、次に追うのは実現が不可能なほどのさらなる欲です。そこにあるのは、果てしない渇望の世界です。何を手に入れても心が満ちることがないとは、絶望の世界です。(なんだか法事の時に聞く坊主の説教のようですね)

 子ども時代は、好きなことを見つける時代です。社会に出て、好きなことが仕事になれば人生は楽しくなります。仕事をするとは人に貢献することです。お役に立てることがすなわち自らの喜びになるならば、人生は楽しい!
 すべては「才能の持ちよう」で決まります。何をもって自分の才能とするか? 心の羅針盤は重要ですね。12歳までに心を育むことですね。次に大事なことは、持てる才能を努力で開花させることです。だいぶ年月を経て、私にも少しわかってきたことでした。

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