お電話でのお問い合わせ TEL 03-3363-7951

理事長通信

トップページ > 理事長通信

七夕の夜は、織姫と彦星が年に一度の逢瀬を果たせますね。2017年7月5日

 七夕の夜は、織姫と彦星が年に一度の逢瀬を果たせますね。年に一度でも会えるなら、それは幸せなことでしょう。大切な人との別れ、黄泉の国へ旅立った人との別れは、人生で遭遇する最も辛く、悲しく、寂しいことです。なにがそう思わせるのか? それは、もう会えない、からでしょう。あの笑顔に会いたい、その思いでしょう。

 私は間違いなくお父さんっ子であったと思います。私の父も、どうやらお父さんっ子であったようです。母が言っていました。「おとちゃまは、よくお父様のお話をなさるわねぇ。朝、起きぬけににこにこしているから、どうなさったのと聞くと、『親父とね、一緒に骨董屋に出かけて、帰りがけに蕎麦屋に寄った夢を見てた』なんておっしゃるのよ。愛された思い出に、いつも包まれているみたいねぇ」というふうです。
 かく言う私も学生の頃までは、帰宅したその足で、早めに床について読書をしている父の布団の隣に潜りこみ、うたたねをしたりしていたものでした。
 その頃のことを思い出しました。「ちょっととなり、ごめんね」と私が布団の隣に入ると、父はこういう時、外で引きずって歩くジーンズを着替えもせずに潜り込んで来る息子に、悲鳴を上げて応戦したものです。「いやだー!道路に落ちてるハナや痰を引きずったズボンのまま入ってきて、ワーっ、いやだぁ」と。その悲鳴がおもしろくて、私はわざと帰宅したそのまま、父の布団に直行して潜り込んだものです。
 父が息を引き取り、ふたりきりになった部屋で、私はふと思いつきの行動に出ました。父の布団に潜り込み、まだ温もりのある父と頬をくっつけて何枚か、ふたりして写真を撮ったのです。こんなことももうできないね、と話しながら。
 そこへ戻ってきた妻が私を見て一言、「ワーっ!ホラーだぁっ!」。
 悲しみに暮れるばかりが見送りではないので。私流ということで。
 父はその昔、脚本を書いていた時期もあったので、よく寝しなに落語のカセットテープを聞いていました。私も小学生の頃、父に連れられて新宿の末広亭に通ったものです。なにしろあなた、古今亭志ん生(!)の高座だって見ていますからね。

 斎場で、父とのお別れの時です。次に見る父の姿は骨ですからね。なんとなく実感できませんので、これでお別れです。私は身長が182センチあります。電車に乗ると年に何度か乗降時に頭をぶつけます。目ん玉って顔の上方についてはいますが、頭頂部にはないので(かたつむりじゃないんだから)目測を間違えるんですね。ですから痛い思いをして不便なこともありますが、この時ばかりは感謝しました。
 斎場の係の人から、棺に蓋をするとの声がかかった時です。私は「またね、父さん」とひとこと伝え、届けとばかりに背を伸ばし、唇をとがらせて父の額にお別れの印を残しました。父の目が覚めていたなら、「またね」という表情でウインクをしたでしょうね、父なら。
 惜別を惜しむ間もなく、ほどなく焼け上がり、係の人は骨の中から「のどぼとけ」を取り出し、「形がしっかりと残っていますね」と骨壺に納めてくれました。
 四十九日で納骨してしまうと、もう骨にすら会えません。そういえば私は祖母ののどぼとけを、母に頼まれて写真に撮ったことがあったな、と思い出しました。
 急な思いつきだったので、大型カメラ用の4×5インチのフィルムが手元になく、急きょマクロレンズをつけた35㎜のフィルムカメラと、細密な描写のために3層の映像素子をもつデジタルカメラの両方で、私は父ののどぼとけを撮影することにしました。
 仏間に安置された骨壺は、まず桐箱に納められています。取り出して、丁寧に何層にもくるまれた包みを開け、蓋を開けて中をごそごそ。見つけたのどぼとけは、父が大好きだった眺めのある窓際に置き、カーテン越しの柔らかな光でライティングをし、「父さん、人徳の高い人は、のどぼとけの形がしっかりと残っているって言われましたよ、よかったですね」と話しながら、汗だくで撮影をしていたのですが。
 と、そこへまた妻が入って来て一言。「ワーっ!父さんのお骨で遊んでるぅ~」
 ……違うってば。でも、あとに残された人が笑顔で過ごすことが、先に逝った人への供養になるんですよ、って。お後が宜しいようで……。(下げはありません)

ページトップへ

信頼の指導47年 慶応幼稚舎・早実・慶応横浜初等部・小学校受験・中学受験・中等部受験に勝つ!

| HOME | お問い合わせ |

Copyright 2012, Keiokai Studies In Education All Rights Reserved.